メールマガジン掲載コラム・バックナンバー

当グループ発行のメ-ルマガジン『成瀬ヨーガ通信』に掲載された、ヨーガ行者 成瀬雅春の
コラムから抜粋しています。 最新コラムは、こちらから
61.おいしい話 (4/10/'07)
60.瞑想法誕生の瞬間
59.脳機能学者との対談
58.映画「蒼き狼」試写会
57.イシナギとウメイロ
56.大人の見識を持とう
55.今年のトイレ飾り
54.新設クリニック内覧会
53.30周年記念祭会場決定
52.沈黙の修行
51.第2回熊野合宿
49.ヒマラヤ修行往復途中の街で
48.帰国報告 
47.第8回ヒマラヤ修行
46.私の執筆歴
45.“井深大が見た夢”
44.クンダリニー2日研修

43.平山夢明氏受賞
42.撮影安全祈願祭
41.モンゴルの赤い瀧
38.“幸せな食事”とは
35.近い人ほど「遠い」と言う!?
34.続“人に言えない自慢話”
33.人に言えない自慢話
32.1月22日放送のテレビ収録裏話&‥
31.新年によせて
30.ヨーガ研修と“猫不動産屋さん”
27.熊野とゴームクの《龍》
26.今年のヒマラヤ修行
25.サンスクリット語には存在しない“ヨガ”ことば
24.サンスクリット語の正しい表記
23.ヨーガの流派
22.最近のできごとより
20.アスベスト(石綿)問題より

61. おいしい話 (4/10/2007掲載)

  新年度になりました。学生は新学期を迎え、会社には新入社員が出社し、桜は満開となり、世の中が気分も新たに動き出す季節です。私のヨーガ教室も今年は創設30周年を迎え気分一新というところです。加えて今日(4月10日)の段階で、入会者が2997名になっています。明日「入会します」という人が2名来ることになっていて、その段階で2999名となります。多分今月のうちには3000名を超えることになりそうです。
  30年で3000人というのは単純計算で1年に100人の入会ということになります。規模でいえば間違いなく、小さなヨーガ教室といえるでしょう。いまどきのスポーツクラブなどは、オープンしたときに3000人ぐらいの会員を集めてしまうのではないでしょうか。
  しかし、私がうれしく思うのは会員番号100番台の人がいまだに通ってきていることです。つまり30年近く通ってきているということです。今スタッフとして活動してもらっている人たちの多くは1000番台の人です。1000番台というのは少なくとも10年以上続いている人たちです。そういう人たちに支えられて当教室は成り立っているのです。
  長く続く会員が多いのは、ひとつには月謝のシステムにあると思います。入会から半年毎に月謝が安くなるという3段階逆スライド方式なのです。そして1年半を経過すると、月謝ではなくなり、月謝より安くなるのです。いずれにしても自分が来たいときに自由にこられ、休みたいときには何年でも休めるというのが基本システムなので、5年ぶりとか10年ぶりにくる会員も多いです。
  会員に長続きしてもらえる要素は、まだいくつかありますが、大きな団体にしない(するだけの商才と財力が無い?)ということもそのうちのひとつでしょう。

  さて新学期といえば、つい先日五反田で小学校時代の恩師とばったり会いました。私が小学校4年から6年までお世話になった先生で、10年ほど前にもばったり出会ったことがありました。ほんの数分の立ち話でしたが、久しぶりの出会いに感動しました。先生は現在82歳で品川区シルバー人材センター理事で品川シルバー大学講師として毎日忙しくしているそうです。80歳を過ぎて現役で活動できるというのは理想的です。少なくともヨーガを実践しているならば、80歳を超えてから元気に人生を謳歌するようでなければならないと思います。
  先生と久しぶりに会えたのは嬉しかったのですが、その先生から、同級生のN君が亡くなったということを聞かされました。N君は小学校時代からの親友で、大人になっても一緒に飲みに行ったりする仲でした。そういえば10年以上会ってなかったことに気付きました。てっきり元気に暮らしていると思っていたのですが、ちょっとショックでした。

  話は変わりますが、私は研修、講座、対談などいろいろな機会に話をします。その中で、もっとも内容の濃い「おいしい話」をするのは、基本的に予定よりはるかに人数が少ないというタイミングのときです。少人数のときに極意をポロッと出してしまうことが多いです。
  なぜこんなことを言うかというと、おまつり本舗店主の荻野哲夫さんと15日に予定している対談「酒と肴と我が人生」でおいしい話が出そうなのです。(つまり人数が少なくなりそう…)しかも、ちょっとした事情があって、ここ数年話していない「空中浮揚」の話を話さざるを得ないことになりつつあります。
  私の「空中浮揚」に興味のある人にとってはめったにないチャンスとなりそうです。さらに、状況によってはおいしい話が出ることになるかも知れませんが、いずれにしても、このコラムを目にしたみな様、トークライブにぜひ来てください!!


60. 瞑想法誕生の瞬間 (3/25/2007掲載)

  17日に大阪で倍音声明と魂を磨く研修がありました。倍音声明はもう何度も開催している会場なので、私は、だいたいどういう状態になるかの想像はついています。いつもより若干少なめの人数で倍音声明が始まりました。始まった途端、いままでにない面白い倍音が出だしたのです。中音域の硬質な倍音と、重低音の倍音が持続的に出て、実に気持ち良い場空間になったのです。
  シンセサイザーなどの音と違って、人の声というのは実に面白いです。どんな瞑想音楽も人の生声にはかないません。今回は予想もしないような音構成になったのです。1985年以来、いろいろな会場で数多く倍音声明を続けてきていますが、その都度まったく違う音になります。だからこそ20年以上も倍音声明を続けられたのかも知れません。

  翌18日は福山で「瞑想法研修」です。丸6時間の研修なので、たっぷりと時間が取れました。瞑想法に関しては、私はいろいろな練習法や実践法のオリジナルを開発してきました。その多くは研修中にとっさに思いつくものや、ヒマラヤで考え出したものなどです。
  10年ぐらい前からは、考え出したテクニックをデータ保存するようになりました。それまでは、作り出しても、その場限りだったり、そのうちに忘れてしまったものなどが多かったのです。1997年ぐらいからのデータでも、数にするとそろそろ100種類ぐらいになります。その中には、ヒマラヤで「一日一つずつ瞑想法を作り出す」と自分に課して、その通りにヒマラヤにいた日数分の瞑想法を産み出したのも含まれています。

  福山の会場は予定していた会場がエアロビクスフェスティバルに使われるということで、急遽変更になりました。その変更になった会場はフローリングの明るい長方形の施設で、そのフローリングを見て、一つの練習法を思いついたのです。
  そして、思いついた3分後ぐらいには、参加者に説明して練習開始です。その開始までの3分間は、私の頭の中でコンピュータがフル回転をしているのです。
  会場をどう使うか、何人ずつ練習させればよいか、その組み合わせはどうするか、男女比をどう振り分けるか、目標地点の目安にボールペンを置こう、照明はどの程度の暗さにするのが効果的か、練習に入る前の予備練習をさせた方がスムーズだろう、その全部の説明手順はどうするか、使っている敷物や荷物はどこに置くようにさせるか……
  などを含め、まだ数点の問題があり、それを3分間ほどで纏め上げて、実践に移すのです。その間も参加者は、私の指示した瞑想の練習をしているのです。その参加者の練習具合にも注意を払いながら新しい瞑想法を纏め上げるのです。3分間で作り上げたにしては、福山でのその練習は成功し、参加者の評判も上々でした。
  もう一つ新たな練習法も試みました。その基本は何回か実践しているものなのですが、それに若干の修正を加えて、今回の人数と顔ぶれでもっとも有効な練習法になるように作り直したのです。これもやはり2,3分の間に、手順を作り上げて実践したのです。
  たいていは、2,3分で作られたとは思われなくて、たまにそのことを参加者に言う機会があると、一様にびっくりされます。しかし、じっくりと時間をかけて作り上げた瞑想法が素晴らしいとは限らないのです。素晴らしい瞑想法というのはむしろ、一瞬のひらめきから生まれることの方が多いのです。少なくとも私の場合はそうです。

  そうやって作り上げられた私のオリジナル瞑想法は、瞑想関係の拙著で紹介しています。5月に「瞑想法の極意」のリニューアル本がBABジャパンから出版されます。その中に「系観瞑想法」を加えました。その「系観瞑想法」はある意味で、あいまいさが目立つ各種の瞑想法から抜け出した瞑想法だといえるかも知れません。
  さて、このコラムも今回で60回となり、しかもスタートして3周年です。私のつたないコラムに付き合ってくれている「成瀬ヨーガ通信」読者の皆様ありがとうございました。これからもご愛読ください。


59. 脳機能学者と対談(3/10/2007掲載)

  3月4日に30回目のトークライブをしました。苫米地英人さん(脳機能学者)を迎えて「ヨーガと内部表現の書換え、高次抽象度の臨場感と空の世界」という長いタイトルの対談でした。苫米地さんは角川春樹事務所の顧問をしている関係で、去年角川さんたちと銀座で同席したときに「対談をしましょう」ということになったのです。
  実は、このタイトルと案内文を苫米地さんから送られてきたときに、タイトルも難しかったのですが、内容も次のようなものでした。

「人類は脳の進化と共に、高次な抽象度世界を身体性をもって認識するという特殊な進化に成功した不思議な生物である。この能力により数学や哲学などの極めて高度に抽象化された世界が構築されるに至った。ヨーガは、高度な抽象空間の臨場感の構築の訓練法としても、また同じ印度起源の数学や哲学に匹敵する高次空間の思考法としても優れた方法論である。現代社会における高次抽象度における身体性の重要度は益々高まるばかりであり、特にテクノロジーの導入より身体性が希薄化してきた現代の抽象化思考の流れの中でヨーガの重要性は益々高まるばかりである。更に、テクノロジーの導入により、離散数理や脳機能の新しいホライズンが広がるなか、空のレベルまでの抽象度空間の臨場感へも人類の抽象能力は迫りつつあり、今後、ヨーガにおける抽象度空間の臨場感にもインパクトがあるものと考えられる」

  さっと読んだだけでは理解し難かったのです。……が、何度も読み返してもやはり理解し難かったのです。ところがしかし、実際に対談をしてみると、私が指導しているヨーガの技法や瞑想法とまったく同じ内容だったので、実にすっきりと理解できたのでした。
  この難しいタイトルなので、私は参加者は少ないのではないかと思っていたのですが、見事に予想は外れました。狭い教室に82名の聴衆が集まり、熱心に「難しい話」を聴いていました。「高次な抽象度世界を身体性をもって認識する」というのは、自分が瞑想している姿や状態を、もうひとつ高い次元から見据えることを指しているように私
は理解しました。それは普段私が指導している瞑想テクニックそのものです。「高度な抽象空間の臨場感の構築の訓練法」というのは、ヨーガの実践によって、宇宙の全体像を体感できることを当てはめることができるでしょう。「数学や哲学に匹敵する高次空間の思考法」に関しては、ヨーガ自体が高度な哲学を含んでいるので、「高次空間」つまり4次元、5次元というような切り口の視点は、ヨーガ行者にとっては、ごく当たり前の視野の中で捉えられるのです。「空のレベルまでの抽象度空間の臨場感へも人類の抽象能力は迫りつつ」……というか、もともとそういう能力があったものが、低下してきたのではないでしょうか? 私はヨーガ行者としての経験からそう思わざるを得ないのです。「空の世界」は紀元前の瞑想者たちにとっては当たり前のことだったのでしょう。文明が発達し、科学が発展するにしたがって、「空の世界」が「机上の空論」と化してしまったと私は考えます。

  ……で、苫米地さんとの対談は、バトルにはならなくて、「お互いに同じ意見ですよね」ということに終始したのでした。その聴衆の中に「おまつり本舗」店主の荻野哲夫さんもいました。次回、荻野さんと4月15日に対談します。「酒と肴と我が人生」というタイトルで、苫米地さんとは違った意味で面白い対談になりそうです。「人類は釣り用具の進化と共に、高次な具象度世界を身体性をもって実感する…」なんちゃって。


58. 映画「蒼き狼」試写会 (2/25/2007掲載)

  2月22日に映画「蒼き狼」(3月3日公開)の試写会に行ってきました。「男たちの大和」の試写会のときと同じ東京国際フォーラムの5000席というホールで上映されました。幕が上がるとminkの歌う主題歌イノセントブルーから始まりました。
  舞台挨拶は、主演の反町隆史さんをはじめ、松方弘樹、若村麻由美、菊川玲、松山ケンイチ、袴田吉彦、平山祐介、Araといった出演者の方々や、原作者の森村誠一氏、澤井信一郎監督、角川春樹氏、エイベックスの千葉龍平氏などそうそうたる顔ぶれでした。終演後、森村誠一氏、角川春樹氏、千葉龍平氏と握手を交わし、私は会場を辞しました。

  この映画は、モンゴル建国800年を記念して角川春樹氏が製作した、モンゴルの英雄チンギス・ハーンの物語です。チンギス・ハーンの誕生から、モンゴゴルを統一し世界制覇へ向かうまでの壮大なドラマが、モンゴルの大平原でのオールロケで撮影されました。
  チンギス・ハーン役の反町隆史さんが画面に登場し、熱の入った演技が始まる……観ている私は、昨年5月に明日香宮での祭事に反町さんが参加したことやその夜一緒に飲んだことなどが脳裏をよぎります。
  息子のジュチ役の松山ケンイチさんは、前作「男たちの大和」でも熱演していましたが、今回も迫力のある演技が光っていました。ただ私は、尾道の(角川氏いわく)隠れ家という場所で、蒼井優さんと松山ケンイチさんと一緒に夜更けまで語らったことや、銀座で松山ケンイチ、袴田吉彦、平山祐介&私という4人で盛り上がったことなどが蘇えってしまいます。
  ジャムカ役の平山祐介さんは、モンゴルでは、全出演者の中で彼だけが「赤い瀧」に同行し、私と角川氏の執り行うクランクイン神事を体験しました。そのクランクイン神事の顛末は昨年の6月10日のコラムを参照してください。平山祐介さんとはモンゴル滞在中にかなり仲良くなり、「日本に帰ったら一緒に飲みましょう」という約束をしました。そして昨年末に五反田おまつり本舗で一緒に飲みました。このときは「サバのしゃぶしゃぶ」が驚きの美味で、一同立ち上がって食べるという盛り上がりでした。(なぜか、その中に私は加わらなかった……)
  そういう関係なので、平山さんを映画の役どころのジャムカという目で見るのが難しかったです。この「蒼き狼」で韓国の新人Araさんがデビューしました。チンギス・ハーンの側室という役柄です。最初に会ったときには日本語がまだ不自由だったのに、先日の舞台挨拶では、みごとな日本語になっていました。韓国ではKoaraという名前で、すでに有名なアイドルです。Araさんには、私の「仕事力を10倍高める瞑想トレーニング」の韓国語版を贈呈しました。たぶん、ハングル文字の拙著で瞑想の練習をしていると思います。

  ところで、映画「蒼き狼」はどうだったかというとですねぇ……つまり……今言ったように余計な意識が邪魔をして、私はまともには観られなかったのです。画面の中の登場人物と付き合いがあるというのも良し悪しですね。
  あっ、一つ私が印象に残った場面を思い出しました。それは「誰か」がジャムカ(平山祐介)にチョークスリーパーを掛ける場面です。……といっても、チョークスリーパーって何なのかが判らない人もいるでしょう。そのことと「誰か」って誰なのかは、ぜひ映画館でチェックしてください。どうしてもジャムカにチョークスリーパーを掛ける必要があるストーリーなのですよ……
  ということで、映画「蒼き狼」は3月3日公開ですので、直接映画館で確かめてください。


57. イシナギとウメイロ (2/10/2007掲載)

  2001年新教室開講以後、何度目かのヨーガブーム到来で、当教室もほんの少し恩恵に浴して会員が増えました。狭い教室に21名の会員が出席したのが、2005年6月4日の土曜日、午後1時30分〜3時クラスでした。
  その後主に土曜日のクラスで、出席人数の記録更新が23名、24名、25名……と続き、今年1月27日土曜日3時30分〜5時のクラスで27名という記録が出ました。出席者には申し訳ないのですが、どうしても土曜日に集中してしまうのです。他の曜日は多くても16〜17名ぐらいです。それでも、その日は27名がなんとかムリタ・アーサナ(死者のポーズ)で仰向けに寝ることができました。

  ところで、一昨日(8日)五反田の居酒屋「おまつり本舗」で鮎川純太さんと熊野亜土(くまのあづち)さんと一緒に楽しいひとときを過ごしました。鮎川さんは一緒にモンゴルへ行った仲で、彼に招かれて昨年の大阪天神祭を体験してきたことも、すでにこのコラムで書いています。そして彼が「紹介したい女性がいる」ということで、一昨日に熊野さんを紹介されたのです。
  彼女は現在、3月から沖縄で小さなホテルをオープンさせる準備中ということです。土地を買うところから始めたというから驚きです。若いのにえらいのか、若いからできるのか? それまでIT関係の仕事をしていたのが、まったく違うサービス業を始めるというので、いろいろな人と会ってアドバイスを受けているところだそうです。
  まぁ、私と会ってもあまり役に立ちそうもないのですが、話ははずみました。ヨーガを2年ぐらいやっているとのことで、ヒマラヤにも行きたいと思っているらしく、またホテルの屋上にヨーガができるスペースも造ったそうです。場所は沖縄本島南側、海中道路でつながる伊計島で、マクロビオティックとリラクゼージョンをテーマにしているそうです。私も一度泊まりに行こうかと思っています。もし、沖縄に行く機会がありましたら、宿泊ホテル候補に「はなりびら」を入れてみてはどうでしょうか?

  ところで「おまつり本舗」は酒と魚がとびきり旨いので、鮎川さんや角川春樹さんもお気に入りの店です。……といっても、私は魚は食べないので、どのぐらい旨いのかは残念ながら判りません。しかし、食べている人の笑顔を見れば想像はつきます。
  つい10日ほど前にも店主からメールがきました。「幻の巨大魚と言われる概算20キロのイシナギを伊豆下田の白浜沖で釣ってきました〜」という内容です。一昨日その話を聞いたら、店長いわく「7年に一度、たった3日間だけ釣るチャンスが来る魚」だそうです。そのイシナギは残念ながらすでにお客さんたちが堪能済みでした。以前角川春樹さんを連れてきたときも「ウメイロ」という魚を角川さんが大いに気に入って「美味しいね」を連発していました。
  皆様は、イシナギとウメイロって食べたことあります?
  店主いわく「ほとんど食べたことないと思いますよ」とのことです。私も食べたことありません……って言うまでもないか。


56. 大人の見識を持とう (1/25/2007掲載)

  20日に新春放談「今の世の中どこか狂ってきている?」というタイトルで井深亮さんと対談をしました。お父さま(ソニー創業者井深大氏)の幼少期の話など興味深い話がたくさん出て、有意義なトーク(109)となりました。
  対談では話さなかったのですが、私がヒマラヤ修行でインドに行っているときに、インド人から「ソニー創業者にヨーガを教えているのに何でソニーのビデオを使ってないんだ」と言われたり「ソニーのビデオが欲しい」「バイオが欲しい」などと要求されたりすることがありました。ソニー商品がただで入手できると思われているようで、困ったものです。

  トーク本題の「今の世の中どこか狂ってきている?」について考えてみると、大人になれない人々や企業が、ひとつの問題点ではないでしょうか? 親殺し、子殺し、バラバラ殺人、引きこもり、ニートなどなど、大人としての見識のなさがひとつの要因だと思います。また、最近の不二家や雪印、ライブドアなどは大人としての見識を持った企業経営ができてなかったのでしょう。
  私の教室に、体調がおかしくなったり気が上ってしまったりということで、電話してくる人が時々います。たいていは桜井さんが電話を受けるのですが、まず「ちょっと成瀬先生と代わって」と切り出されるので「どういうご用件でしょうか」と聞くと、結局、他の本や他の先生から習った結果具合が悪くなったので、成瀬先生のアドバイスが欲しい、ということです。
  会員でもなく一面識もない人に電話でアドバイスをするというような無責任なことができる訳がないというのは、大人ならばわかるのですが、そういう電話をしてくる人は「大人の見識」を持っていないのです。たいていは長話となり、桜井さんがてこずるのですが、電話ならばいくら話しても電話代だけで済むという発想は、そもそも大人の見識を持っていない人のものです。
  私は、教室で会員の人や、関西研修などで参加者から受ける相談には、可能な限り「責任のある」答えをしようと思っています。だから、会員の人からの相談でも、電話では答えられないことが多いです。

  少し話は飛びますが、ヒマラヤ修行中に、訪れてくるインド人の巡礼から受ける相談には、いつも苦労します。インドの人たちはもともと星占いを重要視しています。自分の誕生日と誕生時間と誕生した場所はほとんどのインド人は知っています。それを元に人生のあらゆることを占うのです。私の元を訪れてくるインド人の相談は「私の(娘または息子の)結婚はいつになるのでしょうか」「私は(または息子は)将来どんな職業につけばいいのでしょうか」の二つが中心です。結婚と職業が人生の大きな関心事なのです。
  ところで、大人になるという言葉にはいろいろな含みがあります。つい最近も「ほんの少し大人になったな」と思ったことがありました。……ということは、私もまだまだ大人になる余地があるということです。今年は、もう少し良い世の中にするために、一人ひとりが「大人の見識を持つ」ように心がけましょう。
  今日(25日)が私の誕生日です。私は800歳にもなって、まだ大人になりきれていませんが、みなさまは、多分私より大人ですよね。



55. 今年のトイレ飾り (1/10/2007掲載)

  新年あけましておめでとうございます。
  去年はいろいろありました。映画「蒼き狼」のクランクイン神事でモンゴルに行ったり、熊野合宿では関西と関東の会員が楽しく交流したり、4月30日発売の新刊「ピュア・ヨーガ」が4刷を重ねたこともありました。
  年末にその「ピュア・ヨーガ」の担当者と電話で「ピュア・ヨーガの増刷もそろそろ収束ですね」と話していました。そうしたところ、3日後にその担当者からの電話で「また5千部増刷です」というではないですか。年末ぎりぎりで飛び込んできた朗報に、私は気分よく年越しができました。
 
  2001年1月、21世紀の幕開けとともに東五反田に新教室を開講して丸6年が経ち、今年で7年目を迎えました。新教室開講とともに、最終的に108人の人と対談をしようという企画のトーク(109)シリーズを始めました。108人プラス私で109(トーク)人なのです。20日には29人目としてソニー創業者井深大氏のご子息である井深亮さんと対談します。そして3月4日に30人目の苫米地英人さん(脳機能学者)との対談も決まっています。
  しかし6年間で28人というこのペースで行くと、108人目との対談を迎えるのは、あと17年後ということになります。まあ、急いでるわけではなく、なるべく面白い人と対談をしていこうと思っているので何年かかってもいいでしょう。

  ところで、新教室に移ってから毎月、入り口正面にヒマラヤ写真などを飾るようになりました。またトイレ内に小さな飾りを置くようにもなりました。トイレ飾りは、なんとなく毎月替えていくうちに少しずつエスカレートしていき、小さな飾りから小さくもない飾りとなっていきました。先月の、雪の降る中で子供たちが遊んでいるジオラマは、一昨年の12月に飾って評判が良かったので2回目の登場となりました。
  また私がヒマラヤ修行中はゴームクの私の修行場の模型を飾っています。昨年の1月は戌年だったので、7匹の犬を教室内のいろいろなところに配置してみました。(……ん、それトイレ飾り?)
  その犬を日々場所を変えて置くようにしたところ、会員の人たちが盛んに7匹探すようになりました。かなり評判が良かったので、私は調子に乗って今年も同じ仕掛けをしました。今年はうり坊が7匹教室内を暴れまわっています。

  今月の入り口正面写真は、高樹沙耶さんのゴームクでの写真です。去年9月のヒマラヤ修行でゴームク(標高4000メートル)に一緒に行ったときの写真です。バギーラティー河畔で合掌して祈っている沙耶さんの光景が、正月にふさわしいと感じたので今月にしました。
  ヒマラヤ修行から帰ってきて、高樹沙耶さんに「教室の入り口に沙耶さんの写真を飾ってもいい?」と聞いたら「私の写真でよければどうぞ」という返事でした。実はそのときに飾ろうと思った写真は沙耶さんがゴームクで沐浴している写真でした。体感温度0度以下という冷たさのガンジス河源流で、氷解の流れる中に身体を沈める沙耶さんのその姿は神々しいものでした。
  しかし、沙耶さんの肌も露わなその写真は結局飾りませんでした。会員の皆様ごめんなさい。沙耶さんの沐浴姿は想像してください。
  ……といっても、想像しすぎないでね。



54. 新設クリニック内覧会 (12/25/2006掲載)

  19日にホテルニューオータニでパーティーがあり、招待を受けたので行ってきました。東都クリニック内覧会(午後2時〜6時)と披露パーティー(午後6時〜8時)です。ホテルニューオータニ内に開設していた岩井クリニックが拡張して東都クリニックと改称することと、平成20年に深谷市に「東都医療大学」を開設することの紹介を兼ねてのパーティーです。
  東都クリニック内覧会では、さすがにニューオータニ内のせいか、ロビーも廊下も一流ホテルそのままの見事なカーペット敷きで、スペースもゆったりと取ってありました。それもそのはずホテル内にもかかわらず2000平方メートルという広いスペースを確保しているのです。
  スペースの広さもですが、設備も私には理解不能ですが最新式のようです。PET―CT(16列)、MRI(1.5テスラ)、VCT(64列)、ヘリカルCT、内視鏡診断装置、マンモグラフィー、三次元超音波診断装置などを備えています。また女性はレディースクリニックで受けられるようになっています。ホテルニューオータニに一泊して人間ドックを受けるのも一年の締めくくりとしては良いのでしょう。
 
  私はただただ感心するばかりです。
  パーティーが始まり大坪修先生が挨拶の中で、「医療情報の共有と標準化」ということに触れていました。東都クリニックでは診療データをCDにして患者に渡しているので、海外などで病院に罹るときにも非常に便利だということです。
  私も以前から、診療してもらうのに料金を支払って、その結果を貰えないのは変だなと思っていました。患者の診療データは本来病院が所有者ではなく、患者が所有者で病院は預かる立場ではないかと思っています。……が、私の考えは間違っているのかも知れません。

  ところで、私は比較的医師の知り合いが多い方だと思います。各地での研修には医師の方も結構います。また、過去のツアーでも医師が参加していることもありました。ツアー参加者に医師がいると心強いものです。でも、ちょっと困ったケースも過去にはありました。
  それは、(医師ではない)治療家が二人以上いて、誰かが具合悪くなったときに、違った内容の治療を同時に受けることになったケースです。どちらの治療家も自分に自信があり、自分の治療方針を貫きたいのですが、二つ以上の治療法を同時に施すと、患者にとってはマイナスになることがあるのです。旅行中のことであり、善意から治そうという気持ちで協力してもらえるのはありがたいのですが、そのときは少し困りました。
  困ったといえば、ツアーの最初のほうで旅行社のガイド氏が熱を出して寝込んでしまったということもありました。そのときはツアー参加者が交代でガイド氏の看病をしたり、ホテルのチェックイン手続きをしたりというドタバタ劇を演じる羽目になりました。

  そういえば、この数年はインドツアーをしていなかったので、来年は南インドツアーを計画しようかなと思っています。ヒマラヤ修行のように高度4000mだと、どうしても高山病に罹る人が出るのは仕方ないことですが、旅行中は、なるべく病気をしないように心がけたいものです。
  医師の知り合いが多いのはいいことですが、医師の世話になることは少ないほうがいいですよね。現在の私は非常に元気で、来年出版予定の2冊の原稿をほぼ書き終えたところです。
  年末年始の休みには、知り合いの医師の関係から依頼された医学雑誌の原稿を書く予定です。タントラ初級研修も無事終了し、あとは28日までの教室の授業があるだけです。
  ところで来年は30周年で、出版は30冊目となり、トークシリーズは3月4日に30回目を迎えます。なんだか語呂がいいですよね。
  30(サーテ、イー)年を迎える準備をしましょう。
  ……ということで、今年はいろいろありがとうございました。



53. 30周年記念祭会場決定 (12/10/2006掲載)

  前々回の「大丈夫ですか」ではなく「何かお手伝いできることがありますか」とか「手助けが必要ですか」と聞くべきだと思いますという話に、賛同メールが一通きました。少なくともこの地球で私と同じ考えの人が一人いることが確認できてほっとしています。
  孤独というのは辛いものです。棒高跳びのセルゲイ・ブブカが、自分の持つ世界記録を毎回自分で塗り替えていたときには、おそらく孤独な旅路だったでしょう。せめて一人でも自分と同じレベルの人がいればいいのですが、誰もいないと最初から金メダルだと判っているオリンピックで、テンションを高めるのに苦労したはずです。
  「地上一メートルを超える空中浮揚」ができる人、どこかにいませんか? 私一人では寂しいです。私もマイペースでヨーガを続けて、来年でヨーガ指導も30年になります。10周年と20周年のときに記念祭を開催したので、30周年記念祭を開催しようということになりました。

  公共のホールは1年前から予約できるのですが、かなり競争が激しいようです。取れなければホールでの記念祭は開催できなくなります。そこで、11月1日に桜井さんが品川の「きゅりあん」に行き、私が「内幸町ホール」へ行きました。どちらか片方でも取れればラッキーという気持ちです。桜井さんの方は60組ぐらい来ていて、私の方は26組でした。
  希望日が重なると抽選ということになります。どうしても希望は土日になるので、数組で希望日を取り合うことになります。11月3日は使用できないということなので、私は4日で希望を出しました。
  そして発表です。
  何と私の希望した4日は他に誰も希望してなくて、そのまま申し込みとなりました。他の人たちが、唖然として(私も4日にすればよかった)という目で見ていました。
  偶然4日を希望する人が私だけだったので、その日に30周年記念祭を開催できることになりました。桜井さんの方は、当たったとしても選択権が50何番目という絶望的な抽選をまたずにキャンセルしてもらいました。

  ところで、その5日前の27日に、申し込み方法などについて聞こうと思って新橋の「内幸町ホール」に行きました。
  午後3時ごろにJR新橋駅の階段を降りていたら、ふと床に目が行ったので、数段戻って確かめました。そしたら小さなオレンジ色の紙片に「成瀬」と書いてあるではないですか。それを拾い上げてみると、クリーニング屋がつけるタグのようなのです。
  こんな偶然があるのでしょうか? もちろん私が落としたのではありません。念のため、後日以前利用していたクリーニング屋のタグを確かめたら、やはり色が違っていました。それに私は多分この一年ぐらいの間に、この階段は利用してないはずです。
  新橋駅の乗降客数から考えて、階段の真ん中に落ちている紙片が汚れずにあるのは、短時間のことでしょう。丸一日のうちには何度も踏みつけられてしまうでしょう。この「成瀬」の紙片が誰かのポケットか何かから落ちたのは、何日も前ではないはずです。……というか、ほんの数分か数十分前でしょう。そして、その持ち主は多分「成瀬」さんなのでしょう。
  東京に何人の成瀬さんがいるかは知りませんが、クリーニング屋のタグを落として、すぐに同じ名前の私が拾うというのは、確率的には非常に低いことでしょう。
  ……というか、ほとんどありえないことだと思います。あまりの偶然に、そのタグは持ち帰り、今も持っています。(って持ってても無駄かなぁ)



52. 沈黙の修行 (11/25/2006掲載)

  19日に修行クラスがありました。だいたい毎月一回ぐらいのペースで修行クラスを開講しています。師範科の服部さんは、頭立ちの記録を更新(1時間47分52秒)しました。

  修行クラスには二つの大きな特徴があります。一つは、ヨーガを教えてもらうのではなく「ヨーガ修行をする」ということです。約2時間ぐらいの間、ひたすら自分でヨーガを実践し続けるのです。もう一つはモウナ(沈黙)です。修行クラスの間は一切しゃべらないでヨーガを実践します。12月に「タントラ行法初級研修」がありますが、それも約8時間ぐらいモウナで修行を続けます。

  私が1984年に会ったハリダス・ババというヨーガ行者は、その時点で30年間モウナ(沈黙)の修行を続けていました。私との会話は、小さな黒板を使っての筆談でした。モウナ行者の中には、ハリダス・ババのようにしゃべらないというだけではなく、他者とのコミュニケーションを一切とらない行者もいます。村人や信者が果物や食物を持ってきても一切受け取りません。森の中で自分で手に入れた自然の果物だけを食べて生活します。真摯にモウナを実践し、ひたすら真理に近づこうとするのです。解脱、真理、神といったキーワードがあり、そこへ向けての修行としてモウナや各種のヨーガがあるのです。

  インドには本当にピュアーな行者から、なんちゃって行者や詐欺師まがいの行者までいるので、最初のうちはその区別がつかないでしょう。ハリダス・ババのように30年もモウナを続けていれば、それなりに芯は通っています。しかし、最近モウナ行者になったとか、「アイムサイレントババ!」と大声で話しかけてくる、タポワンにいるモウナ(?)行者のように評価外のケースもあります。
  本来のモウナ(沈黙)行者というのは、沈黙の修行をするのではなく、話すべきことが無くなって、必然的に沈黙し続けることになるのです。真理を追究し始めたときには、真理について仲間と話し合い、ヨーガの話や一般的な会話もたくさんします。やがて、真理に近づきだすと、ヨーガの話や一般的な会話をしなくなる。そして、真理の輪郭が見え始めてくると、真理についての話も一切できなくなるのです。

  ところで、私の教室の授業開始前の30分間と自習時間の数分間、そして終了後着替えて教室を出るまでの数分間、一言もしゃべらずモウナのまま帰っていく人は多いです。しかし、無理にしゃべらないようにしようとしているのではなく、ごく自然にモウナになっているのです。私も、私の教室に通っている人も、その静寂さが好きなのです。もっとも授業開始と終了時に「ハリオーム」という挨拶をするので、完全に沈黙というわけではないです。
  しかし、何年も教室に通っていても、私と一度も話をしたことがないという人も珍しくありません。このコラムを見ている人の中にも「アッ、それ私だ!」と思っている人が結構いるはずです。これからも楽しくモウナを続けて、教室に通うのもいいし、今度私に話しかけてくれても、もちろんいいですよ。
  いつも黙々と授業に来ている人は、たいてい始めたころと比べると見違えるように変化しています。表面的にも内面的にも大きく変化しているのが、こちらから判るので私としてもうれしいです。シャーンティ(平穏・静謐)な空間には、それにふさわしい人たちが集まるのでしょう。
  ………………、…………。
  モウナでは落ちが判らないですか?



51. 第2回熊野合宿 (11/10/2006掲載)

  3日から4日まで熊野でヨーガ合宿がありました。会場の「尊勝院」大広間からは那智の瀧が一望できます。51名の参加者と、講師の桜井ひさみ、森万葉、私という顔ぶれで楽しい合宿になりました。
  参加者の中には、ゴームク(標高4000m)でのヒマラヤ修行に、今年で4回参加している75歳の小林みつ子さんもいます。彼女は「晴れ女」なので今年のゴームクも天候に恵まれました。そのせいか熊野地方の天気もよく、朝の瞑想も那智の瀧の前で、十分に堪能できました。また、食事も精進にしてもらったので、とても気分が良かったです。
  そして今回は、関東方面の人と関西方面の人との交流が盛んにおこなわれたことも成果の一つでした。桜井さんの授業を初めて受けたことに感動する関西方面の人や、森万葉さんの指導を受けて、一挙にファンになった関東方面の人もいたようです。
  合宿終了の翌日が日曜日なので、熊野古道を散策するという人もいたようです。また合宿前日から来て、温泉宿でのんびりした人もいたらしいです。中には1週間前から来て、たっぷりと熊野散策を楽しんだ人もいました。こういうことでもないと熊野地方に来ることもないという人には、良いチャンスだったようです。

  話は変わりますが、矛盾という言葉はよく知られています。どんな盾の防御をも打ち破れる世界に一つしかない矛と、どんな矛の攻撃からも防御できる世界に一つしかない盾の話です。そういう矛と盾が同時に存在することはありえないのです。
  私が常々矛盾するなあと思っているのは「大丈夫ですか」という言葉です。今まで「大丈夫ですか」と声を掛けられたのは「大丈夫じゃないとき」だけです。なんの心配もない大丈夫なときに「大丈夫ですか」と声を掛けられたことは一度もありません。そりゃあそうですよね。元気な人に向かって「大丈夫ですか」なんていうはずがないです。
  具合が悪そうだから「大丈夫ですか」というのですが、それが矛盾していると思いませんか? 大丈夫じゃないときにそういわれても、たいていは「大丈夫です」と答えます。「大丈夫ですか」という問いと「大丈夫です」という答えは、決まり文句のようにワンセットになっています。
  しかし、大丈夫ですか? と聞かれたときには「大丈夫じゃないです」と答えたいのが正直なところです。でもそういうときに大丈夫じゃないですと答える正直者(?)はほとんどいません。私は比較的正直者なので、そういうときに「いや、大丈夫じゃない」と答えることが多いです。
  さて、みなさんは正直者ですか?

  私は、その問いかけ自体に問題があると思います。「大丈夫ですか」ではなく「何かお手伝いできることがありますか」とか「手助けが必要ですか」と聞くべきだと思います。ついでに言うならば、「助け起こす」というのも問題ありです。人が倒れると、助け起こそうとするのですが、むしろそのままにしておいた方がいい場合が多いです。転んで腰を打った瞬間、助け起こされるよりは、そっとしておいて欲しいでしょう。腰ならまだしも、転んで頭を打っていたら、助け起こすどころか動かさない方がいいです。脳出血を起こしていたら、動かすと命取りになりかねません。倒れている人がいてもむやみに助け起こさないようにしましょう。

  ところで、突如「大丈夫ですか」の話を出したのはなぜかというと、熊野合宿で私が「大丈夫じゃなかった」からです。鼻水、セキ、くしゃみの三点セットオンパレードの中、熊野合宿でヨーガを指導していたのです。ヨーガ指導者としては情けない話ですが、俗人の私は風邪も引くし怪我もするし、いろいろな変化を楽しんでいます。もっとも私のその状態に気付かなかった参加者もいたようですが、実はかなり大変だったのです。
  気付いた人も「大丈夫ですか」と聞いては来ませんでした。具合の悪いときに「大丈夫ですか」と聞かれるのは、私にとってはいやなものです。気付いた人は、その気配りができる大人なのか、それとも私にそんな声をかけるだけの勇気がなかったのでしょうか? なんとなく後者のような気が……



49. ヒマラヤ修行往復途中の街で(10/10/2006掲載)

  今年のヒマラヤ修行から帰国した日(9月21日)とその翌日は五反田教室でヨーガ指導をして、その次の日は修行クラスがあり、さらに次の日は倍音声明と続きました。ヒマラヤでの時間の流れから一気に日本のペースに引き戻されたのでした。昨日と今日(10月9日、10日)明日香宮の秋季大祭で「響音の儀」を執り行って、皆様がこのコラムを目にしている頃には五反田でヨーガ指導です。一昨日は雑誌カルナの取材と「舞い瞑想塾」があり、さらにその前日は朝日カルチャーセンターの「らくちんヨーガ」の初日と師範科。そして出版のための写真撮影がありました。

  まあ、そんな中でも瞑想をする時間はいくらでも取れます。5分の瞑想を12回すれば、1時間の瞑想になります。しかも1時間坐って瞑想をするより、何倍も効率的な瞑想になるのです。たとえば1時間のうち10分しか瞑想状態でなかったとしたら、5分の瞑想を2回するのと同じです。どのぐらい瞑想のために坐っていたか、ではなく、どのぐらい瞑想をしていたか、が重要なのです。
  その意味では標高4000メートルのゴームクは、常に瞑想状態を保てる環境です。氷河の上でも、切り立った崖の上でも、ガンジス河畔でも、坐った瞬間から深い瞑想に入れます。

  そのヒマラヤ修行の往復途中にウッタルカーシーという町を通ります。ウッタル(北)のカーシー(ベナレスの古名)という名の聖地です。いつもそこで昼食となるのですが、そのときに高樹沙耶さんが「懐中電灯を忘れてきた」といったので、私が近所の店で適当に「トーチはある?」と聞いたら、何とライターを出されました。日本の100円ライターとまったく同じタイプのものです。いくらなんでもライターの火で懐中電灯の代用をするというのは感心しません。
  そこでその店主に文句を言おうとしたら「ほら、これがトーチだ」といい、私に見せたのは、驚くなかれ100円ライターの底から確かに光が出ていたのです。それは青白い光ですが、間違いなく足元を照らせるぐらいのミニ懐中電灯でした。私はそれを買い求めて、沙耶さんに渡しました。トレッキングガイドのインド人が、大きな懐中電灯を見つけてきて、それも買いました。
  その翌日にハルシルのホテルに、私がヘッドランプを忘れてしまいました。結局100円ライタートーチを沙耶さんから返してもらい、私はヒマラヤ修行中それを使いました。夜は星明り以外に何もないゴームクでは、結構役立ったのでした。今年のゴームクは夜空を真っ二つに切り裂くように「天の川」が存在を主張していました。

  帰りのウッタルカーシーで、また同じレストランに入りました。みんなの食事の足しにしようと私は表に出て、バナナとラスクを買いました。そのとき大勢の若者集団がこちらの方に歩いてきました。すると周囲の商店があわててシャッターを閉め始めました。見るとその集団の中に、棒を持っている若者が大勢いて、その棒で商店を叩いて回っていました。かなり興奮している若者もいて危険な雰囲気が漂っていましたが、私はその若者たちと一緒にバナナとラスクを持って、レストランまで戻りました。
  レストランもシャッターが閉じられていて、脇の入り口から中に入り、とりあえずみんなと食事をしました。それからシャッターが開けられないまま、レストランで待ち続けました。若者集団の暴動で、道路が封鎖されているとのことです。私はその暴動集団と一緒に歩いていたので、その情報は間違いないです。
  40分ほど足止めされて、ようやく車に乗り込むと、パトカーが2台通り過ぎたので、その後を私たちの車はついていきました。しばらく行くと煙が見えてきました。道路の真ん中で、ものを燃やした跡がくすぶっていて、警官ともめている若者と、それを取り囲んでいる集団がいました。
  その脇を私たちの車はすり抜けて、何とか無事にリシケシまでだどりついたときには、夜の8時30分になっていました。

  ところで、今は液体類の機内持ち込みが制限されていますので、女性の化粧品類が空港の手荷物検査で没収されることも多いです。しかも、インドからの帰りではたとえスーツケースの中でもライターはダメということでした。そんな中、私は例の100円ライタートーチを日本に持ち帰りました。珍しいので、しばらくはカバンの中に入れて持ち歩くつもりです。
  近々私と出会ったときには声を掛けてもらえれば、100円ライタートーチを見せてあげますよ……って、単に見せびらかせたいだけかな?


PS:五反田で飲んでいたら、隣のサラリーマンから「100円ライターにライトがついてい
   るのは日本で売ってますよ」と指摘されました。

   「150円だけど前からありますよ」

   タバコを吸わない私は、単に無知なだけでした……



48. 帰国報告 (9/25/2006掲載)

  とりあえず、無事にヒマラヤ修行から帰ってきました。私は下山のときに左足首を軽く捻挫した程度で、それ以外は元気一杯です。他のメンバーもたいした怪我や病気もなく、無事に帰国できました。今回は女優の高樹沙耶さんも頑張ってヒマラヤ修行に挑みました。フリーダイビングのメダリストだけあって、4000メートルの高地でもしっかりと修行できるだけの体力があり、危険な崖登りや氷塊の流れるゴームクでの沐浴なども積極的に実践していました。
  高樹沙耶さんは、女優であるとともに間違いなくヨーギニー(女修行者)としての資質も備えています。修行態度や集中力など、並みのヨーガ行者よりレベルの高さを感じられます。プラヤーグ・ギリから芯の強さを指摘され、ブラフマー神の娘の「サーヴィトリー」という修行名を与えられました。

  ゴームクでただ一人の修行者であるプラヤーグ・ギリとの再会も果たし、一緒に瞑想をする時間も取れました。そのプラヤーグ・ギリから聴いた話によると、今年のゴームクでは5月に1人死亡し、7月には9名の死亡者が出たとのことです。また最近もゴームクで1名死亡し、氷河が抜け落ちて2名がクレバスに嵌って死亡しているそうです。
  そういう厳しい状況の中であるにもかかわらず、私たち一行は何事もなく無事帰国できました。それは、参加メンバー中最高齢の小林みつこさん(75歳)が「晴れ女」だったことが影響していたのでしょう。高山は天候しだいで天国にも地獄にもなります。ちょっと雨が降っただけでも滑って崖下へ転落する危険が起きるし、土砂崩れが発生するのです。晴れていれば、ピクニック気分でゴームクまでたどり着けることもあります。メンバーに「晴れ女」がいることはとても重要なのです。

  ところで、前回「今年のヒマラヤ修行でも何か新しい修行法が産まれるかも知れません。そうすれば、また研修で皆様に体験してもらえます」と書いたのですが、今回は新しい修行法が産まれるということはなかったです。……が、私個人的には驚異的な成果を得られました。まず、昨年までのヒマラヤ修行と違った点がいくつかあります。
  1999年から開始されたヒマラヤ修行では「私の瞑想写真を撮影する」「ゴームクの石と水を持ち帰る」「多くの巡礼にアーシルワード(祝福)を与える」という3つのことが大きなウエイトを占めていました。しかし今回は、私の瞑想写真はほとんど撮影しなかったのです。2,3箇所で撮影しましたが、さほど力を注いだわけではありません。また、ゴームクの石と水にも執着が失せて、水は持ち帰らなかったですし、石はなんとなく2,3個リュックに入れた程度です。
  そして、多くの巡礼にアーシルワード(祝福)を与えるということも、今回はあまりしませんでした。その一つの理由は、ゴームクアーシュラム(道場)を開いている間は、内部で常に修行が続けられていたことがあります。修行中のアーシュラム内には、軽い気持ちの巡礼や観光客は入ってこられないのです。よほど私の祝福を受けたいという意志があるか、アーシュラムのヴァイブレーションに惹かれて入ってくる以外は、通り過ぎてしまうか、覗いただけで立ち去ってしまうのです。

  そのアーシュラム内での修行は、アーサナ(ポーズ)、呼吸法、瞑想などをそれぞれマイペースで実践するのはもちろんのこと、今回から新たな修行法が加えられたのです。それは、祭壇に灯明を点した瞬間から、アーシュラムを閉じるために消すまでは、シヴァ神を讃えるマントラがアーシュラム内に響き続けるというものです。おそらく、今回のヒマラヤ修行参加者は、ゴームクにいる間に100万回以上はマントラを唱えていたでしょう。そのマントラのヴァイブレーションでアーシュラム内が浄化され、修行が促進されるのです。 
  そしてもう一つ、私のアイデアで1000年以上前に修行していたヨーガ行者と同じ環境を、アーシュラム内に出現させたのです。そういう空間には、遊び半分の人は立ち入れないので、私たちも快適に修行が続けられました。
  その結果、私個人的には驚異的な成果を得られたのですが、その成果というのはですねえ……フフフッ……



47. 第8回ヒマラヤ修行 (9/10/2006掲載)

  今日(9月10日)私たちは、ヒマラヤの山道をテクテク歩いています。ガンゴーットリー(標高3048メートル)から、ボージバーサ(標高3792メートル)までの14キロを、約6時間ほどかけて歩きます。私がこの道のりを歩くのは、今回で9回目です。1994年に初めて歩いたときには、往復の道のりがどうなっているのか判らないまま、ただひたすら歩き通したのです。
  1999年からは毎年行くようになったので、年々いろいろなことが判りだしたのです。この先の坂を一つ越えたら茶店があるとか、この場所は落石が多いので、細心の注意をして通り過ぎなければならない、といったことです。トレッキングガイドはそういうことを熟知しています。ヒマラヤの山道をガイドなしに行くと、命の危険が多くなります。現に、この道のりでは毎年何人もの人が命を落としています。
  私も2000年には命を落としかけました。激しい土石流に見舞われたその時間帯には、そのルート上で4人の人が命を落としたのです。下山する遺体を見送りながらゴームクに向かったのは、辛い思い出です。さすがに私も9回目になると、この道のりはガイドとほぼ同じぐらい判るので、私と一緒に行く仲間の安全性は高くなります。

  私の修行場のゴームクまでの道のりも確かに危険なのですが、そこからさらに数百メートル登るとタポワンという高原があります。そこまでの道のりはさらに険しく、初めての人が一人で行くのは、ほぼ無理です。まず、道らしい道というものがありません。岩伝いに行くのですが、その岩の下は氷河なのです。タポワンまでの道のり往復を体験すると、それまで危険だと思っていたゴームクまでの道のりが、散歩道のように思えてきます。
  ……とは言っても、このコラムを書いている段階では、今年のゴームクまでの道のりがどういう状況なのかは判っていません。天候しだいで、ピクニックにもなれば、命がけの登山にもなるのです。今回がそのどっちなのかは、実際に歩き出すまで判りません。

  明日(9月11日)から、ゴームク(標高4000メートル)でのヒマラヤ修行が始まります。私のヒマラヤ修行には、いくつかの目的があります。一つは、当然自分自身の霊性向上のためです。人生は、死の瞬間まで修行です。心臓の鼓動を止める呼吸法を身につけても、空中浮揚を完成させても、それで私の修行が終わりということではないのです。自分自身を磨き上げるための修行を、ゴームク滞在中毎日実践します。
  私のヒマラヤ修行のもう一つの目的は、インド中からゴームクにくる巡礼にアーシルワード(祝福)を与えることです。私はヒマラヤではアーカーシャ・ギリ(虚空行者)という修行名です。ゴームクまでのルートでは、成瀬雅春という名では全く知られていませんが、アーカーシャ・ギリという名は、かなり知られています。
  命の危険を冒してもゴームクまで来る巡礼は、非常に熱心なヒンドゥー教徒が多いです。遠くは2500キロ先のカルカッタから私を訪ねてくるインド人もいます。そういう人たちが毎日訪ねてくるので、ダルシャン(謁見)をして、アーシルワード(祝福)を与えるのも、私のヒマラヤ修行の一つなのです。私を訪ねてくる人が途切れず、食事の時間も取れないということもあります。早朝から、外が真っ暗になる夜まで、巡礼との対応は続きます。

  そして、私のヒマラヤ修行にはもう一つの大切な目的があります。それは、新たな修行法を見出すということです。ヒマラヤ修行研修や瞑想研修などで参加者に指導する修行法は、ほとんどが私のオリジナルです。そしてその多くが、標高4000メートルのゴームクでのヒマラヤ修行のときに作り出されています。系観瞑想法やアーカーシャ・ムドラーなども、ヒマラヤ修行から産み出されました。今年のヒマラヤ修行でも何か新しい修行法が産まれるかも知れません。そうすれば、また研修で皆様に体験してもらえます。
  が、それにはその前に無事日本に帰ってこなければならないのですが‥‥



46. 私の執筆歴 (8/25/2006掲載)

  前回、「ピュア・ヨーガ」の増刷報告をしましたが、私のこれまでの出版を振り返ってみると、20世紀に出版した本11冊と21世紀に出版した本17冊(+韓国語本1冊)です。
  まず20世紀。1992年に出帆新社から出した「空中浮揚」が私の初書き下ろし本です。それまでの3冊――ふたりのヨガ(中央アート出版社・1982年6月)、5分でスッキリ瞑想法(日本実業出版社・1985年3月)、魂を磨く(星雲社・1987年11月)――は、いずれもライター任せでした。
  最初の「ふたりのヨガ」のときは、今思い返してみると、驚くほど文章が書けなかったです。私の文才はゼロ(というかマイナス)状態で、ライターと桜井ひさみさんでほとんど書き上げたのです。私の執筆活動の記憶から消し去りたいほどの出来事でした。しかし、その出版から23年後に、同じ出版社から「らくちんヨーガ」シリーズが出たのですから、無駄ではなかったのでしょう。
  2冊目の「5分でスッキリ瞑想法」も私の話したことをライターがまとめてくれました。そして、「魂を磨く」は私が3年間「シャンバラ密教会」で話したことを、やはりライターがまとめてくれて、自費出版したのです。

  1987年以降、ワープロを使うようになって、やっとなんとか文章が書けるようになりました。今はパソコンで文章を書いていますが、最初にワープロを使った時は、文字が1行表示されるだけの機種だった。(ように記憶していますが?)
  そして「空中浮揚」を書いたときは、多分、画面に7行ぐらい表示できるワープロだったと思います。ワープロを使うようになったおかげで「空中浮揚」が世に出たのです。ワープロを使うようにならなければ、私は多分生涯ライター任せで出版していた(か、ほとんど本を出さなかった)でしょう。こんなコラムを書くこともなかったと思います。今や私は、パソコンを立ち上げると、文章をすらすら書き上げられるようになってしまいました。我ながら驚きです。
  「空中浮揚」出版をきっかけに出帆新社から、「呼吸法の極意」(1992年8月)、「実践・魂を磨く」(993年7月)、「ハタ・ヨーガ」(1994年7月)、「瞑想法の極意」(1995年9月)、「実践ハタ・ヨーガ上巻」(1996年10月)、「クンダリニー・ヨーガ」(1997年11月)と立て続けに出しました。そして20世紀最後の出版が、「実践ハタ・ヨーガ下巻」(1999年6月)で、それが出帆新社から出した最後の本です。
  出帆新社から出した私の本はほぼ完売となり、現在は「瞑想法の極意」が20冊程度と「実践ハタ・ヨーガ下巻」が50冊程度残っているだけです。しかし、これも近々売り切れてしまうでしょう。
  インターネットのあるサイトでは「実践ハタ・ヨーガ上巻」が13300円で売っていました。「瞑想法の極意」も8585円からとなっています。定価2000円の私の本が13300円で売りに出ているというのは、そんな値段で売る人がいるという驚きと同時に、それを買う人には申し訳なさもあり複雑な気持ちです。

  そして21世紀に入って最初の出版が2002年7月の禁煙呼吸法(ゴマブックス)でした。先日「からだにいいこと」という雑誌が、拙著「禁煙ヨーガ呼吸」の取材にきました。読者にヨーガ呼吸法を一週間体験させるという企画で、取材のときに3つの基本的な呼吸法を教えました。そして、その場で私が「タバコを吸ってみてください」といい、試しに吸ってもらったところ「普段とぜんぜん違う味でまずい」という答え。ほんの3分ほど呼吸法をしただけで、顕著に効果が出たのです。ヨーガ呼吸法をちゃんとすれば、禁煙は確実にできるのですが、本人の中にタバコを止めたくないという気持ちがあると難しいですね。
  その「禁煙呼吸法」を皮切りに、この4年間で7つの出版社から17冊(+韓国語本1冊)出しました。現在もちょっと重たいテーマの本を依頼されています。毎日パソコンに向かっているのですが、どうも筆が進まなくて、産みの苦しみを味わっています。
  文章がすらすら書けないなぁ……



45. “井深大が見た夢” (8/10/2006掲載)

  先月25日に大阪の「天神祭」に行って、船渡御(ふなとぎょ)という行事を経験しました。なかなか天神祭の船には乗れないそうです。モンゴルに同行した鮎川純太さんの招待で参加したのですが、角川春樹氏やお嬢さんのKei-Teeさんたちとわいわい「お祭り騒ぎ」を愉しみました。
  船に乗ってから写真家の桐島ローランドさんも一緒だったことに気付いたのです。その数日前に電話でローランドさんと話したばかりなのに、天神祭の船上で出会うというのも変なものです。その電話というのは、9月に開催する倍音声明の会場を貸してもらう件でした。ローランドさんの写真スタジオを借りての倍音声明というのを、すでに数回開催しています。もともとは倉庫だった会場は天井が高く、スペースも広いので、大勢での倍音声明に適しています。以前毎年開催していた「田谷の洞窟」での倍音声明は、洞窟崩落の危険があり、しばらくは使えないのです。そんなこともあり、ローランドさんの写真スタジオを借りて倍音声明を開催しているのです。

  人間関係とか縁というのは、不思議なものです。桐島ローランドさんとは、お母様の桐島洋子さんとの縁でのつながりです。桐島洋子さんは、ソニーの土井(天外伺郎)さんの会で知り合ったのです。そして土井さんとは、佐古曜一郎さんのエスパー研の会合で知り合い、佐古さんは、ソニー創業者の井深大さんと私を引き合わせてくれたのです。
  佐古曜一郎さんは1998年4月に「井深大が見た夢」(風雲舎刊)を上梓しました。私のことが書かれてある部分が3ヶ所ほどあり、ひさしぶりに読み返してみました。
  井深さんとの出会いの場面や、井深さんのご自宅を訪問するところなども面白いのですが、まさに本のタイトルの井深さんが見た「夢」の部分を少し紹介します。

  井深がよくいっていたのは「僕は次の世紀に対して大事なもの、本物を残したいんだ」ということだった。「もうだいぶ私自身の身体は弱ってるけれども、弱った身体は献体として使ってくれ」。強烈な提言であった。献体という意味は、「あんたらが実験として必要なら、僕は幾らでも自分の身体を実験材料として提供する」ということであった。
  井深は急いでいた。残りの時間を気にしながら、それに命を懸けていたフシがある。もしそれによって自分の身体がおかしくなってもかまわない。というぐらいの姿勢だったのである。
  「西洋医学の切り刻み用の献体ではない」
  「西洋医学を切り刻むための献体だ」
  という気迫だった。
  本当は恐らく、この大村先生、奥平先生、伊藤先生という3人の大物を呉越同舟させて、火花を散らさせ、掛け合わせる、つまり化学変化させる。その化学変化させた新しい土俵というものが、西洋医学への対抗軸になりえるはずだと思っていたのだ。独創的な3人がぶつかるのは当たり前、だからこそ化学変化させ、新しい土俵を作る。それを作った後で、もう一段――いわゆる超能力的な現象、いまの常識で考えると「超」と付くような事象、その一人のキーパーソンとしてヨーガの成瀬雅春先生を考えていた――激しい爆発を狙っていたのである。
  成瀬先生の空中浮揚という超の付く現象もパラダイムシフトの要(かなめ)と考えていたのである。井深はこの3人の大物を変化させた後に、ここでもう一発掛け合わせたら、もう完全に近代西洋合理主義への切り口ができると思っていたのだ。
  別の視点で見れば、井深はOリングの3人の先生で西洋と中国の化学変化という第1段ロケット、そして成瀬先生というインドを掛け合わせ第2段ロケットとし、世の中の革命を狙っていたのである。―「井深大が見た夢」より抜粋―


  佐古さんも私も、この大きな宿題を井深さんから託されて、いまだに迷走中です。
  さて、前回クンダリニー・ヨーガの増刷が決まったことを伝えましたが、「ピュア・ヨーガ」がまた増刷となりました。これで4刷です。私の本がこんなに売れるようになってしまったら、そろそろヨーガブームも終わりでしょう。となれば、他の仕事を探さなくっちゃ……とはいっても800歳の老人を雇ってくれるところはないだろうなぁ。



44. クンダリニー2日研修 (7/25/2006掲載)

  18日のテレビやスポーツ紙で「モンゴル2万人ロケ」「チンギスハーン戴冠式撮影」「角川春樹氏監督復帰」など、日本・モンゴル合作映画「蒼き狼〜地果て海尽きるまで〜」が報道されていました。その撮影の頃、私はクンダリニー研修の最中で、モンゴルの撮影現場には、平山夢明さん同様行けませんでした。
  19日夜に角川氏に電話したら、今日日本に帰ってきたといい、報道では2万人の撮影は成功したということだったが、実際はかなり大変だったということを本人から聞きました。しかし、まあその辺の話はいいとして、今回はクンダリニー研修の話をしましょう。

  久しぶりで2日間の研修をしました。拙著『クンダリニー・ヨーガ』(増刷が決まりましたと出版社から連絡がありました)に基づいて、レベル1からレベル42までの修行法をこつこつと積み上げていくという、非常に地味な研修です。最も安全にクンダリニー覚醒を果たすには「シャクティチャーラニー・ムドラー」というテクニックを使うというのは、1000年以上前から、ヨーガ経典に示されています。そのことは経典を読めば判るので、秘密でも何でもありません。
  それなのに、インドでもその他の国でも、そのシャクティチャーラニー・ムドラーを教えているクンダリニー・ヨーガの道場や指導者に出会ったこともなければ、そういう話を聞いたこともありません。私はそのことが不思議でなりません。シャクティチャーラニー・ムドラーも空中浮揚も、ヨーガ経典に記述されていて、その通りに実践すればできるので、私の専売特許ではないのです。むしろ私よりすごい(私はすごくありません)テクニックの人がでてくるのは大歓迎です。

  インド各地のヨーガ道場を訪れてみると、ただ単にクンダリニー覚醒をさせてしまうという危険な方法や、クンダリニー覚醒とは関係ないテクニックを指導しているケースを、何度も目にしました。たとえば石畳に坐って尾てい骨をドンドンと打ち付ける修行をさせているクンダリニー・ヨーガ道場がインドにありますが、絶対にそういう修行法はするべきではありません。そんな方法でクンダリニー覚醒をすれば、脳障害を起こすか廃人になってしまう可能性があります。
  そういう道場があるから、クンダリニー・ヨーガは危険だといわれてしまうのです。非常に大きな能力が開発されるからこそ、地味な修行を続けるべきなのです。安易に覚醒させてはいけないのです。いきなり大きな能力が身につくような修行は、基本的に私は避けています。
  「2日研修にでればクンダリニー覚醒できますか」「何ヶ月ぐらいでレベル42までできるようになりますか」というような質問を受けることがありますが、残念ながらそういう人の期待に添うことはできません。修行に近道はないというのが私の考えです。むしろ遠回りするぐらいの方が、しっかりと身につくと思います。
  私の指導しているクンダリニー研修は、クンダリニー覚醒をさせるのではなく、覚醒しても大丈夫なような準備をさせるので、地味な修行なのです。クンダリニーは危険な方法を取れば、簡単に覚醒します。むしろ覚醒させないようにするのが大変なのです。
  交通事故でも出産のショックでも覚醒してしまうケースがあります。それは事故であり、良いことではないのです。なぜなら、大きなエネルギーが起きてしまっても、それをコントロールすることができないからです。私は、どんなに大きなエネルギーが起きても大丈夫なようなコントロール能力を身につけるように指導しているのです。

  今回の研修では、シャクティチャーラニー・ムドラーでクンダリニーエネルギーを頭頂部まで上げて、さらに体外に抜くまでを、久しぶりに実践して参加者に見せました。初めて観た人には大変参考になったようです。もっとも、それを観たことがない人には説明するのが難しい不思議な現象です。
  もしチャンスがあれば、私のシャクティチャーラニー・ムドラーを観てください。……とはいっても、私自身は毎回命がけで取り組んでいることなので、どこかのパーティーで会ったときに「見せて〜」といわれても……



43. 平山夢明氏受賞 (7/10/2006掲載)

  1ヶ月半前に「ピュア・ヨーガ」増刷の話をしましたが、さらに2度目の増刷となりました。ヨーガとの縁ができる人が増えることはうれしい限りです。その3刷の発売日が今日7月10日です。自分で言うのも変ですが、「ピュア・ヨーガ」は60分DVD付きで1300円+税という価格と、オールカラー写真という内容で、他の本にはない有利さがあるようです。私個人としては、巻末にヨーガ用語の解説を6頁載せたのが気に入っています。

  モンゴルでの「響音(ひびきね)の儀」に続いて7月6日と7日に明日香宮の中元祭で、また「響音の儀」を執り行ってきました。……(フフフッ、面白いこともありました)が神事関係の話は、そろそろ皆様も飽きたころでしょうから、違う話題にしましょう。

  4月25日付のこのコラムで「友人の今野敏氏が吉川英治文学新人賞を受賞した」とお知らせしましたが、今度は私の対談シリーズの26回目に登場した平山夢明氏が「日本推理作家協会賞」を受賞しました。そこで6月27日に「平山夢明さんの推理作家協会賞を祝う会」に(8時15分クラスをさぼって、某Sさん&某伊庭さんのヒンシュクを買いつつ)行ってきました。
  定刻を5分ほど過ぎて私が到着すると、いきなり平山さんから「あっ、成瀬さん。こっちにきて」と平山さんの隣に座らされました。それを合図のようにパーティーが始まり、まずは作家の真保裕一氏の挨拶がありました。私は個人的に真保氏の作品が好きなので、後で挨拶に行こうと思っていたら、途中で退席されてしまい、ちょっと残念でした。
  宴半ばで平山さんは、推理作家でも編集者でもない私にマイクを向けるのです。一瞬困ったことになったと思ったのですが、覚悟を決めて対談に来ていただいた話をしました。「その対談では、平山さんから血まみれの人によく会います、という話をたっぷり聞きました。やっぱり平山さんは変な人でした。怖い話のはずなのに、これまでの対談で最も笑いの多いトークとなったのでした。平山さんは、絶対に血まみれの人を呼び込む体質です。その証拠に、私は対談の翌日に教室の前で派手に転んで右足が血まみれになってしまったのです。すねからの出血が止まらないので医者に行ったら『これは深いですね。縫いましょう』と3針縫われてしまいました……」
  とまあ、こんなことをしゃべってその場をしのいだのでした。後から大沢在昌氏も加わり、パーティーは盛り上がりました。
  そしてパーティーの翌日、平山さんから携帯メールが来ました。パーティー出席のお礼メールですが、平山さんのお許しを得ましたので紹介させていただきます。

件名:昨日は大変に御足労戴きましてありがとうございました。
本文:みなさま、回覧で誠に恐縮です。昨日は豚児の〈豚、木に登らせ会〉に出席を賜りまして、誠にありがとうございます。
ノミネートだけでもボロ儲けと思っておりましたので、獲れたと聞いた時にはびっくりして椅子から落ちたほどでした。
今後とも、これを図に載せ、はりきってカンカン踊りで参りますので何卒、よろしく御贔屓のほどをお願い致します。
近い将来、小説を読むというものが〈悪いこと〉になった際、もとを辿れば〈こいつだ!〉と言われるように脳味噌に読んで効くドラッグを世間様に放り込んで参りたいと思っております。
それでは、みなさま夏がガパッと来そうでございますので、ご自愛のほどを……。
平山夢明拝

  ところで、訂正しておくことがあります。「蒼き狼」の映画でチンギス・カーンという名前にするということだったのですが、モンゴルで通常使われているチンギス・ハーンとなったそうです。来春3月3日公開に向けて撮影中です。7月13日から16日にチンギス・ハーン戴冠式の場面を、2万人のモンゴル人を集めて撮影するとのことです。その撮影は無論角川春樹氏が陣頭指揮を執ることになります。平山夢明氏も見学にモンゴルに行くつもりだったのが、仕事で行けなくなったそうです。
  私も……ウ〜ッ……16日と17日のクンダリニー研修があるので……



42. 撮影安全祈願祭 (6/25/2006掲載)

  モンゴル話のリクエストメールは22通来ました。この数が多いのか少ないのかは判りませんが、リクエストがあった以上書かざるを得ないでしょう。初めてこのコラムを見る人は、前回のコラムでその「モンゴル話」を見てください。

  赤い瀧でのプライベート神事が成功裏に終わったので、私たちはモンゴルへ来た役割の大半を終えたということで、ほっと一安心です。そして、6月2日にウランバートルから車で1時間30分ほどのところにある撮影現場に行きました。日本・モンゴル合作映画「蒼き狼〜地果て海尽きるまで〜」の、公式の撮影安全祈願祭はモンゴルの見渡す限りの大平原の真っ只中に、神道の神棚を北に向けて配置して執り行いました。

  午前9時30分過ぎに撮影現場に到着した角川氏、尼僧の白石慈恵さんと私は、まず神事の執り行われる場所をチェックしに行きました。遠くでは、鎧兜に身を固めた大勢の人たちが、モンゴルの馬に乗って隊列を組んで行軍の練習をしています。また、数十名のスタッフが撮影準備のためにそこここで立ち働いています。しかし、神事が執り行われる周辺には2,3人のスタッフがいるだけです。
  角川氏は、ごく自然な感じで祭壇前に坐ったので、私もすぐに角川氏の左後ろに坐りました。その時点で角川氏がムドラーを組み始めました。いつも通りに角川氏をフォローして、7つのムドラーをよどみなく組み終えました。もちろん角川氏と打ち合わせたのではなく、自然の流れとして始まったのです。そして角川氏は続けて、私から秘儀を伝授されたばかりの新しいムドラーを組み始めました。
  新しく教えたムドラーの秘儀は、手の組み方はまったく同じでも、内容的に数段グレードアップすることを伝授したのですが、私の予想通りに角川氏はそのムドラーをほぼ完璧にマスターしていたのです。内宇宙ムドラー(私の造語)を完璧にマスターするのは稀有のことです。秘儀部分については、当然活字での説明はできません。……が、ヒントはムドラーを組んだときに体内を流れるエネルギー状態です。
  ムドラーを終えた角川氏に「今のムドラーで今回の神事の大半は終了しましたよ。撮影安全祈願はほぼ成就しました」と角川氏に伝えました。そのことは白石慈恵さんもほぼ同じ意見でした。後は、大勢の列席者やモンゴルの報道関係者に撮影安全祈願の成功を報告するという意味で、予定通りの神事を執り行うだけです。

  そして午前10時30分。神事の準備が整いました。日本とモンゴルの映画関係スタッフや角川春樹事務所とエイベックスの関係者。チンギス・カーン役の俳優反町隆史さん、テムジンの母役の若村麻由美さん、ジャムカ役の平山祐介さん、クラン役のAraちゃん(4万人のオーディションで選ばれた韓国の16歳のアイドル)などが列席して神事はスタートしました。
  私の役割りは「響音(ひびきね)の儀」です。モンゴル語の通訳には「音で大地を清める儀式」と伝えました。私の打ち鳴らす鐘の音で、広大な撮影現場に清らかなヴァイブレーションを起こして、クランクアップまで無事に撮影が進行するように心を込めました。モンゴルのシャーマンも私の「響音の儀」に、目を瞠っていたそうです。私は、角川氏の執り行う神事では何度も「響音の儀」をしてきたのですが、モンゴルの大平原での「響音の儀」はズシッとした手ごたえがありました。その後、モンゴルのシャーマンによる安全祈願とモンゴルの舞楽奉納があり、最後に角川春樹大宮司の祝詞と関係者の玉串奉奠で、撮影安全祈願祭は無事終了しました。
  実は、その神事の間に3度雷が鳴り響いたのですが、これは私と白石さんともう一人の関係者が聴いていました。他の人には聴こえていなかったようです。このときの雷は、雨とともに来る雷ではなく、神が人々の祈りをかなえるときに降りてくる雷(=神成り)です。天空の高い位置で乾いた音が響くとともに、地底の深くからも響き渡ってきたのです。角川氏と私の撮影安全祈願に対する想いは、間違いなく普遍的な神に届いたと思います。

  神事終了後は、昼食をはさんで反町隆史さんとAraちゃんのポスター写真撮影です。無事その撮影を終えて、モンゴルでの最後の晩餐をイングリッシュパブに移動しておこないました。ホテルに戻りラウンジで一息ついていると、モンゴルのテレビニュースで昼間の神事の様子が放映されていました。その中に一人、ど派手なオレンジ色のクルタ姿でやけに目立つ人が映っていました。
  「あの変な奴は誰なんだ」という、モンゴルのテレビ視聴者の声が……



41. モンゴルの赤い瀧 (6/10/2006掲載)

  5月25日午後3時25分成田発、韓国(仁川)経由ウランバートル。乗り継ぎで少し遅れが出てウランバートルのハーンパレスホテルに角川春樹氏とともに着いたら翌日になってしまいました。モンゴルに到着して知ったのですが、現在はサマータイムで日本との時差はなかったのです。
 前回のこのコラムに1時間の時差と書いてしまったので、直行便で3時間45分としたのは、4時間45分の間違いでした。帰りの直行便は4時間30分で成田に到着しました。単純に列車に乗っている時間だけで4時間31分の東京〜熊野より、モンゴル〜成田の方が1分だけ近い(?)という結果でした。

 日本・モンゴル合作映画「蒼き狼〜地果て海尽きるまで〜」の、公式の撮影安全祈願祭は6月2日に執り行ったのですが、その前の5月28日にカラコルムの赤い瀧で安全祈願を行いました。27年前に角川氏は赤い瀧でチンギス・カーンに関わる重要なことを感じたそうです。そこで今回、私と尼僧の白石慈恵さんに、そのことを確かめてほしいというので、モンゴルに同行したのです。
 赤い瀧は角川氏にとっては特別な思い入れがあるので、数人のスタッフに加えて、エイベックスの副社長と今回準主役に抜擢した平山祐介さんを同行させました。チャーターしたヘリコプターで、カラコルムまで約2時間の移動をして、すぐその足で車に乗り換えて3時間30分ほど、悪路を飛ばして赤い瀧に到着しました。
 その前日に、映画関係者とモンゴルの大臣から角川氏に「赤い瀧に行ったら、撮影安全祈願とともに雨が降るように祈ってください」という要望がありました。なぜなら、ずっと雨が降らないために牧草が枯れて、馬がガリガリに痩せてしまっているとのことなのです。雨で大地が緑になり、馬が牧草を食んで肥えなければ、撮影に入れないのです。

 28日の赤い瀧に向かう車中から、京都の尼僧の白石慈恵さんが「羽を広げた孔雀」を見たのです。モンゴルの平原にいるとは考えられない孔雀を見たのは、安全祈願成功と「雨が降る」という啓示だったようです。孔雀は元来が水とのかかわりが深い、河川の女神のサラスヴァティー(弁才天)の乗り物なのです。そのあたりから、ポツリポツリと雨が降り出したのです。そして赤い瀧に着いてみると、本来瀧のあった部分は完全に干上がっていました。
 14年前に私がモンゴルに行ったときに、瀧の前で倍音声明をしたのですが、そのときの写真を持っていきました。その瀧が赤い瀧かどうかは定かでなかったのですが、実際に赤い瀧に着いてみると、まさしく同じ場所だったのです。27年前に角川氏が赤い瀧に来て、14年前には私が赤い瀧に来ていたのです。私が来た14年前には見事な瀧だったのですが、今回は完全に干上がっていたのです。
 到着して神事が始まる直前に、私は角川氏を少し離れた場所に連れて行き、新しく教えたムドラーの秘儀を口頭で伝授しました。手の組み方はまったく同じでも、内容的に数段グレードアップすることを伝授しました。なぜ、そうしたかというと、その秘儀を受けるだけの準備が角川氏に整っていたからです。
 神事の準備を終え、角川氏がムドラーを組み始めて、私が鐘を鳴らすと、それにあわせたように雷が響いたのです。同時に斜め前方の雲が龍の形になりました。そして神事を終えたら、一羽の鷹が上空を3度旋回してから去っていったのです。帰りには角川さんと私と白石さんの、3人の心を込めた祈りを祝福するかのような見事な虹が出ました。

 赤い瀧で私が感じたことと、白石さんが感じたこと、そして角川氏が感じたことが、打ちあわせもなく、完全に一致したのも驚きです。これらすべてが、撮影安全祈願と雨を呼ぶ啓示だったと思われます。カラコルムのホテルに着くころには雨も本格的に降り出し、翌日には雪に変わっていました。おかげで帰りはヘリコプターを飛ばすことが出来なくて、車でウランバートルまで戻ったのです。もちろん、依頼通りに雨が降ったので、映画関係者とモンゴルの大臣からは、感謝されました。
 6月2日の公式神事については、次回に(読者のリクエスト次第で)書く‥‥かも。



38. 幸せな食事”とは(4/25/2006掲載)

  4月11日に、帝国ホテルで「吉川英治賞」の贈呈式と披露祝賀会がありました。友人の今野敏氏が「吉川英治文学新人賞」を受賞したので、私も招待されたのです。選考委員の高橋克彦氏いわく、満場一致で今野氏の「隠蔽捜査」に決まったそうです。決まってしまってから、あまりにすんなりと決まるのもどうかということになり「そろそろベテラン作家の域に入ろうとしている今野氏に新人賞というのはどんなものだろうか」という疑問が提起されたそうです。しかし選考は作品そのものなので、キャリアや年齢は関係ないという意見が通り、めでたく受賞となったのです。

  帝国ホテル「孔雀の間」で開催された披露祝賀会は400〜500人ぐらいの人々が集い、盛大な祝賀会となりました。バラエティに富んだ料理が並び、今野氏の周囲には大勢の人が集い、次々にお祝いの言葉を掛けていました。私はいつもの通り料理には手を出さずにいましたが、「おしることメロン」だけ美味しくいただきました。
  そういうときの私は、本当に幸せなのですが「料理を食べない幸せ」というのは、なかなか理解してもらえません。テレビの大食い番組を見ていると、幸せそうに食べている人は見かけません。いや、大食い番組だけでなく、料理番組や食べ歩きの番組を見ても、幸せそうな顔で食べている人と出会うことはほとんどありません。口いっぱいに料理を頬張って美味しそうな顔をするのですが、幸せそうではないです。実際そういうタレントさんは、仕事だから美味しそうな顔をするだけで、本当はまずかったり、嫌いな料理だったりでしょう。仕事というのは楽ではないですよね。
  あっ……
  それで思い出したけど、うーん。書こうかどうしようかな……。
  ……って、思わせぶりなことを言ったら、書くしかないですよね。

  それは、私が中学生のときの話です。
  テレビで「ママ5時50分よ」という新番組が始まったときのことです。その番組の、ママの息子役で“私”が出演していました。月曜日から土曜日までの毎日5時50分から6時までの帯番組です。その番組の中で私の記憶にあるのは、築地のやっちゃば(野菜市場)に行き、セロリをガブッとたべて美味しそうな顔をするというシーンでした。
  私は当時も今もセロリは嫌いです。しかし、仕事なので美味しそうに食べなければなりません。そこでスタッフがバケツを用意してくれて、撮影終了と同時にそのバケツにセロリを吐き出したのでした。確か、その番組は3ヶ月ぐらいで終わったと思います。もしかしたら、私に問題があったのかも知れません。

  ……と、変なことを思い出してしまったのですが、幸せそうな顔で食べているタレントさんを見かけないのは、私の目がおかしいのでしょうか? 現在の日本には美味しい食事というのは、溢れるほどあるようですが、幸せな食事というのはほとんどなくなってしまったように思われます。
  では、私の言う「幸せな食事」というのは何を指しているのでしょう? それは本当に空腹のときにわずかの食事をじっくり味わうことです。現在の日本では、本当に空腹になるということが、ほとんどなくなってしまったようです。いつでもたくさん食べられるというのは、一見幸せなようですが、そうでもないのです。
  残酷な刑罰の中に食事の刑というのがあります。それは延々と食事を食べさせるのです。口を無理やりあけて、食事をさせるのですが、楽しくも幸せでもありません。フォアグラは、ガチョウに無理やり食事をさせ続けて、肝臓を肥大させるのですが、それがどんなにひどい動物虐待だか判るでしょうか。そんなことのできる野蛮な人間と同じ人間であることが、私は恥ずかしくて堪りません。フォアグラという野蛮極まりない料理は、この世から抹殺したいです。この世の中からフォアグラが消滅しても、人間が飢え死にするわけではありません!

  ……ちょっと興奮してしまったようなので、気持ちを落ち着けます。
  今野敏氏の「隠蔽捜査」(新潮社刊)もチャンスがあったらぜひお読みください。それから、最近私が読んだ本でお勧め本を一冊挙げるとしたら「国銅」(帚木蓬生著・新潮社刊)です。この主人公は、ヨーガ行者を髣髴とさせるものがあり、食事や宗教、生き方など、考えさせられることが満載です。しかも最後の30頁ほどは、私の目がうるんでしまいました。
  (単に、年を取って涙もろくなっただけか……)



35. 近い人ほど「遠い」という!? (3/10/2006掲載)

  私は毎年ヒマラヤで修行していますが、必ず毎年そのヒマラヤに私を訪ねてくるインド人が何人かいます。その中で、カルカッタから2500キロもの道のりを列車やバスを乗り継いで、約1週間かけてヒマラヤに来る人がいます。そして私のアーシルワード(祝福)を受けて、至福に満ち溢れた顔で帰途に着くのです。
  彼にとっては2500キロという距離は、何の障害でもないのです。しかも、それだけかけてヒマラヤに来ても、私と会っている時間はほんの30分程度です。彼がヒマラヤに2,3日滞在するときは、毎日私のアーシュラム(道場)を訪ねてきては、20〜30分ぐらい一緒に時間を過ごしてから、4キロほど下の宿泊地へ帰るのです。ほんの少しの時間私と共に過ごすことで至福に満たされるので、少しでも長く一緒に居ようということはありません。

  私の五反田の教室にも、遠くから通ってくる人がいます。電車で1時間30分から2時間ぐらいの距離ならば、通常のクラスに通ってくる人がかなりいます。1日研修などの場合は、九州や沖縄、北海道などから研修を受けに来る人がいます。以前台湾から研修に通ってきていた人もいました。
  そこで、30年近く続けている私の教室で、過去に一番遠いところから研修にきた記録というのがあるのですが、どこからだと思いますか?
  タントラ初級研修があり、その8時間の1日研修だけに出るために、なんと「オランダ」から参加した人がいたのです。その人は日本人で、オランダに行く前から私の教室には通っていました。タントラ初級研修を受けて、そのままオランダに帰ったのでした。その人は現在も五反田の教室に通ってきています。‥‥が、今はオランダからではなく東京在住です。

  私はネイチャーゲームというのに興味を持ったことがあり、そのときに初級指導員資格を取ったのですが、東京から福井県までいき、3日間の研修を受けました。もちろん、東京や神奈川や千葉など関東圏でもその研修はあったのですが、ちょうどそのタイミングで受けられるのは福井県だったので、迷わず福井県まで出向いたのでした。
  そのとき私が教わったのが宮本先生という広島在住の方で、その宮本先生は、その後福山での私のヨーガ研修に何度も参加するようになりました。その福山でつい先日(3月5日)呼吸法研修があり、このときも東京から1人と、九州から2人の参加者がありました。
 
  最近はヨーガブームで、問い合わせも多いのですが、私の教室が五反田だと知ると、「ちょっと遠いのでもう少し近くにありませんか」といわれることがあります。
「遠いというとどの辺ですか?」
「恵比寿なので五反田はちょっと遠くて、恵比寿に教室はありませんか」
「申し訳ありません。恵比寿にはないのです」

  これは東京に詳しくない人にはピンとこないでしょう。この会話からすると恵比寿は五反田から相当遠いような印象を受けるでしょうが、山手線で2駅、時間にすると4分です。もう一度言います。4分ですよ。多分電車に乗るのが面倒なのだと思いますが、4分で遠いといわれると「???」となりますよね。
  たいていは、近い人ほど「遠い」ということが多いです。東京の研修のときに「そんなに遠くありませんから研修に出ます」という人が、名古屋からだったり新潟からだったりするのです。私も興味があることをしに行くときには、どんなに遠くても「遠い」と思ったことはありません。
  ちなみに、その「興味のあること」をするために5月末に(多分)モンゴルに行きますが、もちろんモンゴルが遠いとは思いません。モンゴルで何をしてくるのかは、そのときまでお楽しみにお待ちください。このコラムでお知らせできると思います。
(ちょっとトイレに行きたくなったけど‥‥遠いなぁ‥‥)



34. 続“人に言えない自慢話” (2/25/2006掲載)

  前回「私には人に言えない自慢話があります」という話で、みなさまをイライラさせたようですみません。そこでお詫びにその自慢話を聴かせましょう‥‥というわけにいかないのはもう判ってますよね。何しろ「人」に言えない自慢話なのですから。
  ここでの話は文体が軽い関係かも知れませんが、私の言わんとする内容を、理解してもらえていないことが時々あります。前回のコラム配信の後に何人かの人が「その自慢話を特別に聞かせてください」と言ってきました。ちゃんと理解してもらえたら、その自慢話を「聞かせてください」ではなくて、「自分もそういう自慢話を持とう」となるはずなのです。

  つまり生涯で最も大切な「宝」を自分のものにすべきなのです。お金も地位も名誉も、最も大切な宝とはいえません。私が前回「私の自慢話を聞きだすとがっかりすることになるでしょう。私の人に言えない自慢話はその程度の内容なのです」と書いたのは、若干謙遜しての言葉です。「それでも聞き出したければ、自白剤でも入手して、私を拉致監禁して聞きだすしかないでしょう」と続けたのですが、実はそこに込められたメッセージに気づいたら、その「自慢話」の重さを理解してもらえたでしょう。
  つまり、自白剤でしゃべらされない限りは「死んでも話さない」というほど素晴らしい、誇りに思える大切な「宝」なのです。命と引き換えにしても話したくない(話せない)宝を、たったひとつだけ私は持っているのです。そして、このメルマガ読者の方々に対して「生涯にひとつだけで充分なので、そういう宝を持ってください」というのが、前回の私のメッセージだったのです。

  だから、そのメッセージをちゃんと受け取れた人は「その自慢話を特別に聞かせてください」とはいえないはずなのです。そうではなく、自分もそういう「宝」を持つために、日々一生懸命生きて行こうという気持ちのほうが先にたつでしょう。そういう気持ちになるような人は、多分「私の話を聞きだそう」とはしないでしょう。なぜなら、私の「宝」を知っても何の参考にならないどころか、むしろ自分の「宝」探しには邪魔な情報になるだろうという想像ができるからです。生涯最高の「宝」はその人だけのものであり、誰かと同じものである必要もないし、実際に同じではないでしょう。
  他人の宝を気にするのは海賊に任せておきましょう。まともな社会人は自分の宝作り、宝探しをすべきでしょう。

  もう少し「宝」についての話をすると、その宝は「宝物」ではないので資産価値はないし、形で表現することもできません。人間なら誰でも、どんなにたくさんでも持つことができる「意識」です。経験、思い出という言葉に置き換えてもいいでしょう。良い経験をして、良い思い出をたくさん作り、その中で絶対に「人に言えない」ぐらい光り輝く思い出を、手に入れることです。素晴らしい思い出なら、いろいろな人に自慢すればいい、と思うかもしれません。しかし、本当に大切な思い出は、人に言えるようなものではないのです。

  ヨーガの聖者が、瞑想を深めていって「真理」を見いだしたとします。そうすると、その聖者は、真理について一切語らなくなるのです。最も素晴らしい、最も大切なものを見いだしたときには、誰にもそれを言えなくなるのです。さらに聖者は確実に真理を自分のものにしたときに、一切の言葉を失い、ただ一言も話さなくなるのです。それがモウナ(沈黙)を実践する聖者なのです。
  インドには、多くのモウナの行者がいますが、そのほとんどはモウナのマネをしているだけです。つまり真理を得て話せなくなったのではなく、しゃべらない修行をしているだけなのです。得てしてそういう行者は多弁です。小さな黒板を持っていて、そこに話すことを書くのです。こちらが返事をすると、すぐに次の言葉を書き、結局バラエティに富んだ会話になるのです。モウナ(沈黙)の意味を正しく理解していない行者が多いのは、私がインドに何度も行って知ったことです。
  私の「人に言えない自慢話」は真理と似たような性質があり、話さないようにしているのではなく、話せないのです。だから、どうかくれぐれも、私と会うときは自白剤は用意しないでください。‥‥黒板もダメですよ。



33. 人に言えない自慢話 (2/10/2006掲載)

  私には人に言えない自慢話があります。
  どういう話かというと……それは人に言えない話なので、文章にすることもできないのです。大声で触れ回りたいほどの自慢話なのですが、人に言えない話なので、やっぱり言えません。
  でも恥ずべき話ではなく自慢話です。
  自慢話なら堂々としゃべればいいじゃないか、と思うでしょ。でも言えないのです。なぜなら人に言えない自慢話だからです。誤解されないために言いますが「人」に言えない自慢話です。まだ判らない人に、もう少しはっきりさせるために言うと、他人に言えない自慢話なら家族には言えます。でも私の自慢話は「人に言えない自慢話」なのです。

  だから、私の自慢話は動物になら言えます。この表現も、もう少しはっきりさせておくと「人間以外の動物になら言えます」ということです。
  私は(人間以外の)動物と会話をすることがよくあります。拙著『実践・魂を磨く』には、トンボと会話した話が書いてあります。トンボは、ときどき私の近くに来たり、肩や指先に止まったりします。そうするとしばらく(たぶん30秒〜1分ぐらい)は逃げずに私を見て、目玉をくるくると動かすのです。それで私の内部にいろいろな情報が入り込んでくるのです。面白いもので、そういうことがある都度、心の中が整理されてきて、瞑想時のクリアーさが増してくるのです。

  ブータンのチベット寺院で倍音声明を実践しているときに、子猫がわたしに擦り寄ってきました。私たちの実践している倍音声明が気持ちいいのか、私のそばにいるのが気持ちいいのか判りませんが、実に気持ちよさそうにしていました。その他いろいろなところで犬や猫には好かれますが、私自身は犬や猫が好きというわけではないです。
  ヒマラヤでは鳥と対話することがよくあります。去年もトンビらしき鳥が私の周囲を回っていて、その後に私のすぐ脇にきて羽根を休め、私と二人きり(?)のひとときを楽しそうに過ごしました。
  そういうときに私は「人に言えない自慢話」をするのです。トンビ君は目をキョロキョロしながら、しばらくそれを聴いてくれるのです。
「うん、なるほど、へえぇ〜」
 と言っている……ような気がします。

  で、その「人」に言えない自慢話というのはですね……
  聴きたいでしょ。でもやっぱり言えません。
  しつこいようですが、それは「人」に言えない自慢話だからです。
  だから、動物にその自慢話をするときには、声に出さないように注意しています。なぜなら声に出すと誰か(人間)に聴かれてしまうかも知れないからです。
  これは秘密のマントラと似ています。グル(導師)がチェラ(弟子)に「秘密のマントラを教えるから生涯誰にも聞かれることのないように、心の中で唱え続けなさい」といって、その弟子のために特別なマントラを授けるのです。
  弟子は、グルから授かった特別のマントラだから決して誰にも悟られないように心の中で唱え続けます。

  ところが某Aグルの例を紹介すると、来る弟子来る弟子に同じマントラを与えるのです。つまり自分だけの特別なマントラだと思って唱えているのが、他の弟子たちとまったく同じマントラなのです。その事実を知ってしまうと、自分が授かったマントラのありがたみがたちまち薄れてしまうことになるでしょう。秘密は秘密のままにしておいた方がいいのです。
  だから、無理に私の「人に言えない自慢話」を聞きだすとがっかりすることになるでしょう。私の「人に言えない自慢話」はその程度の内容なのです。それでも聞き出したければ、「自白剤」でも入手して、私を拉致監禁して聞きだすしかないでしょう。
  そんな危険なことをするよりは、勝手に想像している方が幸せですよ。
  うわっ……そうは言っても、あんまり変な想像はしないでください。



32. 1月22日放送のテレビ収録裏話&新春放談+パーティー (1/25/2006掲載)

  22日は朝から夜までバタバタとしていました。
  まず朝7時から「所さんの目がテン!」というテレビ番組の放映がありました。 「女性に大人気!ヨガの秘密」というタイトルで、ヨーガを紹介するものです。 私の録画撮りは11日と12日に終えていました。
  11日には「総合西荻中央病院」へ行き、MRI検査を受けました。出演者の矢野さんとヨーガ行者(私)では、深い呼吸のときに横隔膜の動きに違いがあるかどうか、を検証する試みです。結果は矢野さんは画面上4センチほど上下したのですが、私は10センチの動きがあったのです。
  そして次の日には「東京医科大学」へ行き、換気量検査を受けました。1呼吸の酸素吸入量と炭酸ガスの排出量が矢野さんと私では違いがあるかどうか、という試みです。結果は矢野さんと比べて3倍の酸素吸入量と炭酸ガスの排出量があるという数値になりました。放映時の説明では、1分間の呼吸数だけが紹介されました。矢野さんは平常時1分間に13呼吸で、深呼吸をすると6呼吸となり、私は平常時が6呼吸で、深い呼吸をすると2呼吸になったという数値が紹介されました。

  呼吸の計測は「3分間おこないます」ということで計測のためのマスクを装着して、最初に矢野さんがおこないました。次に私の計測となり、私もマスクを装着して、呼吸しづらい状態で深い呼吸を始めて3分が近づきました。そうすると私の近くで「もう少し続けよう」というディレクターの声が聞こえるではないですか。「えっ!」という一瞬の動揺があったのですが、そこはヨーガ行者としてのコントロール能力で呼吸を乱さないようにしました。
  そしてさらに1分2分と深い呼吸を続けていると「このまま続けましょう」というディレクターの非情な声が聞こえるではないですか。さすがに「え〜〜っ!」という心の叫びが生じました。このまま続けていたら、いかにヨーガ行者といえども呼吸が乱れてくるだろうという予想はつきます。
  意識的におこなう深い呼吸は24時間続けるというわけにはいかないのです。呼吸法研修で完全呼吸法を指導するときには「5呼吸続けましょう」と教えています。それでも最後の5呼吸目ぐらいになると乱れ始めるのが普通です。私は(椅子に座っていたのですが)窮地に立たされました。5分を過ぎて6分を過ぎても、ディレクターや教授やテレビスタッフの声はありません。みんなじっと私の呼吸を見続けているのです。仕方なしにヨーガ能力全開で呼吸を続けました。そして「ハイ、終わりです」というディレクターの声がして、室内の緊張が解けたのです。
「何分やったのですか?」という私の問いに、ディレクターからは「8分です」という涼しげな言葉が返ってきました。私も涼しげに「そうですか」と答えたのでした。8分間の平均を取ったら1分間に2呼吸という数値になったのです。
  この2日間の録画で、一応良い結果が出たので、私はホッとしました。「矢野さんの方が呼吸が深いですね」などということになったらどうしようかと、内心冷や冷やしていたのです。番組では私のヒマラヤ写真も何枚か使っていました。久しぶりのテレビ出演でした。 
  しかし、テレビの影響力というのは凄いもので、その翌々日に電車に乗っていると、前の席の男子高校生3人が私を見てヒソヒソ話をしているのです。「テレビに出ていた」とか、私の顔の特長とかを話している声がかすかに聞こえてくるのです。ほんのちょっと出ただけでこれでは、いつもテレビに顔を出している人はさぞかし大変だろうと思います。(なるべく有名にならないように努力をしよう‥‥)

  そして午後3時30分からは、新春放談「生きることと死ぬこと」というタイトルで教室で1時間半話したのです。狭い教室に67人の聴衆が集まり、生まれてから死ぬまでの危険な(?)話を一気にして、5時30分からはパーティーということになったのです。
「らくちんヨーガ全6巻出版記念」+「成瀬雅春バースデー」+「成瀬ヨーガグループ5周年」をまとめた「成瀬雅春を囲む会」というパーティーには中矢伸一(日本弥栄の会代表)さんや角川春樹さんなども出席して大いに盛り上がりました。角川春樹さんから時空を超えた奇妙な話がでたり、富と幸運と豊饒の女神・ラクシュミーというインド名の歌姫、桜井ひさみの歌うガザルなどがあり、至福のひとときを共有しました。
  ところでこのメルマガが配信された25日が私の誕生日ですが、私の年齢は(今年も)800歳です。多くの(?)女性と同じように、ほんの少しだけ年齢を偽っています。



31. 新年によせて (1/10/2006掲載)

  あけましておめでとうございます。……の洪水は一段落しました。年末年始、私は久しぶりにのんびりしました。大晦日に格闘技番組を見て、正月特番をなんとなく見ながら過ごしていると、テレビから「成瀬さん。成瀬さん」という声が何度も聞こえてきました。3日の夕方のことです。NHKのその番組は「にんげんドキュメント選 93歳のスゴ腕社長」というタイトルで、成瀬博さんにスポットを当てたものです。

  私と同姓だということもあり、つい見てしまいました。成瀬さんの工場は大手メーカーの下請けをしていたのですが、あるときを境にその下請け仕事を断りました。それは「下請けに仕事をさせてあげている。金を払っている」という大手メーカーの姿勢が気に食わなかったからだそうです。大手メーカーの考えは仕事そのものより金を大切にしているが、成瀬さんの考えは金より仕事を大切にしたいのでした。
  下請けをやめて、成瀬さんが最初に作ったのが大根の洗浄機でした。大根の凹み部分に付いている泥までをキレイに洗浄してしまう機械を作り、農家の人たちに喜ばれたそうです。それをスタートにいろいろな洗浄機を作ってきたのです。昨年は大手重機メーカーの依頼で、大きなモーターの隅々まで洗浄する機械を手がけ、メーカーの満足する製品を作り上げたそうです。
  9月に腰を痛めるまでは、毎日工場で作業を続けていました。11月で94歳を向かえ、そろそろ現場からは引退する気になったとのことです。そして遊ぶことを考えるようになり、「遊びに専念する」とギターを習い始めたのです。
  この成瀬博さんは、お手本になる人生を歩んでいる先輩という気がしました。まず、仕事が楽しい、そして社交ダンスを趣味にしていて、さらにギターを習い始めたという、前向きな生き方もすばらしいです。成瀬さんの「人もモノも長持ち、無理せず急がず」という言葉も好感の持てるものでした。
  この番組を見た人は少なかったと思いますが、正月休みに見たテレビで一番気持ちのいい番組でした。

  今年はもうひとりの成瀬さんに負けないように私も何か趣味を見つけて遊びたいなぁ‥‥(もう十分遊んでいるでしょ)‥‥メルマガ読者からの陰の声が聞こえてきたような気がする‥‥



30. ヨーガ研修と“猫不動産屋さん” (12/25/2005掲載)

  今日(25日)はクンダリニー・ヨーガ研修をしています。アーサナ研修(23日)、瞑想法研修(24日)という内容の3日研修の最終日です。私の研修に参加する人は、男性の方が多いという特徴があります。今日も女性6名に対して男性14名という割合です。聞くところによると、他のヨーガ教室はほとんど女性で、男性は居ても1割か2割ぐらいだそうです。多分ダイエットや美容目的でヨーガを始める人が多いせいなのでしょう。
  この1年ぐらいでヨーガ教室が急増して、私の教室がある五反田もいつのまにか5つぐらい新しいヨーガ教室ができました。しかし、ブームが去ったあとまで残れるのは幾つあるか疑問です。‥‥と言っている私の教室も残れないかも知れないのですが、まあ、28年続いているので多分大丈夫(かな?)。

  私の教室は「藤ビル5階」です。一ヶ月ほど前に、このビルを借りたときの不動産屋さんに用事があって行きました。そのときに聞いた話ですが、藤ビル3階を借りたいと打診してきたヨーガ教室があったそうです。その不動産屋さんは「とんでもない。そんな無礼なことができるわけがない」と仲介に入った不動産屋を一喝したそうです。
  その「山の手エリアサービス」という不動産屋さんはちょっと変わっていて、私たち成瀬ヨーガグループの中では「猫不動産屋さん」で通っています。なぜなら、その不動産屋さんの店内には、猫が6匹いるのです。その猫たちは、カウンターの上や応接デスクの下などを自由に使って暮らしているのです。だから猫が苦手な人はこの不動産屋の店内に入ったとたん、その光景をみて逃げるように帰って行くのです。
  私が借りたときには、当成瀬ヨーガグループの指導者でガザル歌手の桜井ひさみさん(当時猫を15匹飼っていて、現在も11匹飼っている)が一緒だったので、猫不動産屋さんに、とっても気に入ってもらえたのです。もともと私のことをテレビで見たりして知っていたということもあり、教室探しに力を発揮してくれました。その結果、家主さんが倉庫に使っていた「藤ビル5階」を猫不動産屋さんが「荷物を片付けて成瀬さんに貸しなさい」と、ほとんど命令のような状態で交渉してくれたのです。もうしばらくは、現在のビルでヨーガ教室を続けられそうです。

  ところで、2日目の瞑想研修は、集中の練習や瞑想の練習、意識の拡大方法の練習や、ヒマラヤ瞑想などをやるのですが、数年前と最近ではその内容が変わってきています。たとえば以前はゲーム性の強いものがいくつかあって、研修に取り入れていたのですが、今回の研修では、ゲーム的なものはほとんどやらなかったのです。
  それは、参加者の意識の関係でしょう。私は瞑想法研修のときには、どんな研修内容にするかを決めないで、参加者の意識に合わせて進めていくのです。そして、次になにをやるかも寸前まで決めない(決まらない?)ことが多いです。
  今回の研修中に「では目を閉じてください」と言ってから、「さて次は何をしようか」と考えたのですが、何も浮かばなかったので、そのまま2,3分経ってしまい、「ううっ、困った」となり、とりあえずクリスタルボウルを鳴らしだしました。そのまま続けてクリスタルボウルを使った瞑想タイムになって、何とかうまくいったのです。しかし本当は「これからクリスタルボウルを使った瞑想をしますので準備してください」と説明してから入るつもりで居たのです。しかしまあ、参加者がとても良かったと言ってくれたので、結果オーライでしょう。過去の瞑想法研修でも、土壇場になっても何をやるか決まらなかったこ
とは良くありました。そういうときに、パッとひらめいて、面白い瞑想法が出来上がったりしたものです。
  計画性のない研修の進め方が、私の人生をあらわしているようです。来年はもう少し計画的に生きなくちゃ‥‥と年末に思っても年が明けると‥‥。
  今年もいよいよ土壇場になってしまいましたが、どうぞ良いお年をお迎えください。



27. 熊野とゴームクの《龍》 (11/10/2005掲載)

  10月29日から30日にかけて、和歌山県熊野で合宿がありました。丸5年のブランクを経ての合宿なので、新鮮な気分で楽しめました。東京方面からも10数名の参加者があり、関西方面の人たちとの和やかな交流の場となりました。合宿会場となる大広間(80畳)からは、那智の滝が見えて見事な景色が広がっています。そういう環境の中で、足首回しから始めて各種のアーサナを実践したり、呼吸法や舞い瞑想、倍音声明などをたっぷりと楽しみました。

  しかし、東京から行くとなると早朝6時の新幹線で出発しても、熊野の合宿会場に到着するのは午後1時過ぎになってしまいます。大阪からでも4時間以上かかるので、場所的には不便なのですが、だからこそ「場」がいいのだともいえます。ゴームクも同じように、山道を危険な思いをして7時間以上歩き続けなければ行きつけないので、ピュアーな場が守られているのだと思います。その不便さにもかかわらず遠くは北海道から参加した人が2名いるし、広島、京都、名古屋、愛知、三重など各地から集まってもらえました。
  熊野というのは、日本ではかなり特殊な場ではないかと思われます。ゴームクもインドではかなり特殊な場ですが、そのゴームクにちょっと似たような雰囲気が、熊野にはあります。日本中を旅行しているのではないので、安易に決め付けるわけにはいきませんが、熊野がある種のピュア―さを有しているのは確かなことだと思います。とくに那智の滝のエネルギーには、驚かされました。私がゴームクと似た感じを受けたのは、那智の滝のせいかも知れません。

  ところで、前回「私の瞑想写真撮影中に、シヴァ・リンガ峰(6543m)山頂の陰から《龍》の形をした雲が現れて、羽を拡げて大空へ舞い上がっていったように見える写真も撮りました」という報告をしましたが、その《龍》というキーワードが今回の合宿にも関連していたのです。
  合宿会場の眼前に展開する那智の滝は「ヒロウ神社」の御神体なのですが、そのヒロウというのは「飛龍」と書くのです。那智の滝が空飛ぶ龍の姿を現しているのです。ヒマラヤで龍の形をした雲と出会い、熊野で龍の姿を現した滝と出会うというのは、何らかの縁があるのだと思います。那智の滝の下での早朝瞑想も実に気持ちよく、できれば倍音声明も那智の滝に向けて実践したいと思いました。

  帰りのタクシーで運転手さんが「今は滝の水が少ないので、多いときにくるといいですよ」といったので、「いつごろがいいのですか」と聞きました。雨季とかがいいのかなと思ったら「そりゃ、台風のときがいちばんいいですよ」という答えが返ってきました。「もっとも台風のときにくるお客さんはいませんがね、ハハハッ」と豪快に笑うのです。「まあ、迫力のある那智の滝を見たかったら、台風の去った後がいいですよ」といわれて「なるほど」と感心しました。
  かなり話好きな運転手さんで「ここはサーフィンにもいいのです」というので、海岸に目を向けると穏やかな海が広がっていました。「波のない静かな海ですが、ここでサーフィンをやるのですか」と聞くと運転手さんからは「ハハハッ、台風のときがいいのですよ」という答えが返ってきました。私たちがあっけにとられていると「台風が近づいてくるという気象情報が流れると、サーファーがどっと集まってくるんですよ。あっという間にサーファーの間に情報が流れるようですよ」と、自慢げに説明するのです。
「そうか、那智勝浦には台風のときにくるのがいいのか」と、かなり偏った情報を入手して、私たちはタクシーを降りたのでした。
  来年の合宿が、もし台風と重なったらラッキーなのかアンラッキーなのか・・・



26. 今年のヒマラヤ修行 (10/25/2005掲載)

  20日にヒマラヤ修行から無事帰国しました。7年目にして初めて、滞在中ずっと快晴の中、青空をバックにした瞑想写真がたくさん撮れました。日本にいたらおそらく一生見ることのできないであろう、本当の「青空」と「星空」を思う存分堪能しました。
  また、私の瞑想写真撮影中に、シヴァ・リンガ峰(6543m)山頂の陰から龍の形をした雲が現れて、羽を拡げて大空へ舞い上がっていったように見える写真も撮りました。

  プラヤーグ・ギリとの1年ぶりの再会も果たしました。ヒンディー語と英語がごちゃまぜのインド独特の会話の中で、プラヤーグ・ギリがディンナル(意味は前号参照)と発音するのを聞いて、思わず含み笑いをしてしまいました。
  プラヤーグ・ギリとは最初に出会ってから数えると11年の付き合いになるのに、今回初めて「カパーラバーティ・クリヤーを教えて欲しい」と頼まれました。そこで、日中「呼吸法講座」の時間を取りました。スカ・プールヴァカ・プラーナーヤーマ(安楽呼吸法)、カパーラバーティ・クリヤー(頭蓋光明浄化法)、バストリカー・プラーナーヤーマ(ふいご呼吸法)の3つのテクニックを教え、短時間の間に要領をつかんでくれました。

  そういえば、最初の出会い(1994年)のときに、私が頭立ちのポーズのつもりで「シールシャ・アーサナを見せて欲しい」とプラヤーグ・ギリにいったら、いきなり瞑想に入った。見ていると体内のエネルギーが反転して、逆さまになったので「この人はちゃんと修行しているな」と感心したことがあったのです。現在、ガンジス河源流のゴームクで修行している行者は、プラヤーグ・ギリただ一人です。あとは短期間アーカーシャ・ギリ(私)が修行するのと、オーム・ギリがときどきくるぐらいでしょう。
  ゴームクから900メートル下流のガンゴーットリーには、修行者らしき人や、ヨーガ道場、僧院などがひしめきあっているのに、最も聖なる地のゴームクで修行する行者がいないというのも変なものです。もっともゴームク周辺は自然環境保護区域なので、誰でも勝手に修行テントを張れるわけではないのです。
  ゴームクで腰をすえてしっかりと修行するには、少なくともプラヤーグ・ギリやオーム・ギリの信頼を得て、地域を管轄する軍人や役人からも受け入れられなければ、すぐに追い出されてしまうでしょう。現にゴームクでテントを張ったヨーガ行者が追い出されたことが何度かありました。すべてに通じることでしょうが、周囲との調和を図れないようでは、うまくいかないのです。

  ヒマラヤ滞在中にパキスタンやカシミール地方で大きな地震があり、何万人もの人々が犠牲になったということを、下山後に知りました。私の修行するゴームクとは比較的近い(といってもかなり遠い)のですが、そのときに揺れを感じるということはありませんでした。帰国後に何人もの人に「大丈夫だった?」と声をかけられました。ご心配いただきありがとうございました。

  ヒマラヤでいろいろな瞑想体験もしましたが、29日〜30日に「ヨーガ合宿in熊野那智山」があり、そこでする瞑想も楽しみです。早朝に那智の滝の真下での瞑想を予定しているので、滝のエネルギーを感じつつ実践する瞑想が、ヒマラヤとは違ったインパクトを持って迫ってくるのではないかと期待しています。合宿自体が2000年9月が最後で、今世紀に入っては初めてなので、久しぶりにどんなことになるのか楽しみです。
  では、私は今からディンナルです・・・



25. サンスクリット語には存在しない“ヨガ”ことば (10/10/2005掲載)

  前回、サンスクリット語の「アー」と伸ばすのを「ア」とすると、逆の意味になってしまうことが多いということに触れました。「アー」はその言葉を肯定するときにつけ、「ア」は逆にその言葉を否定するときにつけられることが多いという話でした。
  ちなみに、「成瀬ヨーガグループ」のロゴはサンスクリット語の「アー」を使っています。私のインドでの修行名アーカーシャ・ギリ(虚空行者)やアーカーシャガンガー(銀河、天の川)をはじめとして、アージュニャー・チャクラ(眉間のチャクラ)、アーシュラム(ヨーガ道場)、アーサナ(坐法)、アーナンダ(法悦境、幸福)、アートマン(真我)などのように、否定の「ア」と対照的に「アー」には良い意味の言葉が多いのです。

  ところで、サンスクリット語には存在しない単語の「ヨガ」ブームは、まだ収まりそうにありません。私のところに送られてきたヨガの小冊子をパラパラとめくると、いろいろなヨガの名前が並んでいます。パワーヨガ、アシュタンガヨガ、ビクラムヨガ、イシュタヨガ、ロハスヨガ、エナジーヨガ、ホットヨガ、リラックスヨガ、クンダリーニヨガ、インスパイアヨガ、ジェントルヨガ、ブリーズィングヨガ、ストレッチヨガ‥‥

  ハタ・ヨーガを中心に実践し続けている私には、こんなにたくさんのヨーガがある(?)とは知りませんでした。この中でクンダリーニヨガというのもサンスクリット語には存在しません。もっともパワー、ストレッチ、ホットなどはサンスクリット語ではないので、ヨーガの流派や種類の考察をする対象外です。クンダリーニという単語から考えられるのは、拙著のタイトルにある「クンダリニー・ヨーガ」のことですが、クンダリーニという単語はサンスクリット語にはないのです。あるのはクンダリニーかクンダリーです。
  クンダリニー(kundalini)というのは、コイル、螺旋(らせん)、環、巻き毛などを意味するサンスクリット語のクンダラ(kundala)という名詞から出た「クンダリヌ(kundalin)螺旋を有するもの」の女性形主格です。クンダリニーとクンダリー(kundali)は同じ意味であり、これが日本に入って来て「軍荼利明王(ぐんだりみょうおう)」となったのです。
  ここでサンスクリット語のローマ字表記についても説明する必要があります。このローマ字表記を正確なサンスクリット語表記にするには、まずkundaliniとkundaliの最後のiの上の「・」を「−」にします。そしてKundのnとdの下に「・」をつけます。
  クンダリニーは、その「螺旋を有する」という意味から、3回半とぐろを巻いた蛇が眠っている姿がイメージされました。蛇は生命力の象徴として扱われるところから、根源的生命エネルギーという意味合いもあります。根源的生命エネルギーをもった蛇が、3回半とぐろを巻いた姿で眠っている状態がクンダリニーということになります。

  クンダリニーは、クンダリニーシャクティとかクンダリニーエネルギー、クンダリニーパワーなどの表現が使われますが、少しそれを整理してみましょう。
  クンダリニーシャクティはサンスクリット語で、シャクティ(sakti)は、動詞語根(sak)の「〜する力をもつ」「〜することができる」という言葉から派生しています。これもsaksの上に右上から左下に向けてななめの線「´」をつけます。
  クンダリニーパワーやクンダリニーエネルギーというのは、「パワー」が英語で「エネルギー」がドイツ語読み、サンスクリット語と英語・ドイツ語を使ったクンダリニーシャクティの別の表現語です。クンダリニーシャクティの英語訳には「サーペントパワー」という言葉があります。日本語に置き換えれば「蛇の力」となります。クンダリニーのサンスクリット語についてはだいたいつかめたことだと思います。クンダリニー・ヨーガの内容については拙著「クンダリニー・ヨーガ」(BABジャパン)を参照してください。

  さてここで、前回出した問題の解答を教えましょう。念のため、その問題を再確認すると
『英語の堪能な人に問題です。インドで英語または英語から派生したヒンディー語で次のように言われたら、何のことか判りますか? 「ジャンガル」「アガスト」「エアルポルト」「パルス」「ドラーイヴァル」「プリス」「パールク」「タールチ」「ダーラル」「パールキング」「ディンナル」』という問題でした。
  解答です。
「ジャンガル」はjungle(森)、「アガスト」はAugust(8月)、「エアルポルト」はairport(空港)、「パルス」はpurse(財布)、「ドラーイヴァル」はdriver(運転手)、「プリス」はpolice(警察)、「パールク」はpark(公園)、「タールチ」はtorch(懐中電灯)、「ダーラル」はdollar(ドル)、「パールキング」はparking(駐車場)、「ディンナル」はdinner(ディナー)
  さて何問正解したでしょうか? もし全問正解したらあなたはインド人もびっくり人間です。

  ところで私は今ヒマラヤで修行中です。次回のコラムでヒマラヤ話をお伝えできると思います。



24. サンスクリット語の正しい表記  (9/25/2005掲載)

  前回ヨーガの流派について書きましたが、今流行っているヨーガブームは欧米経由で日本に入ってきているためか、サンスクリット語表記の間違いが目立ちます。もっともサンスクリット語を正しく表記するのは難しいので、多少は仕方ない部分もあります。
  わたしは通常、ヨーガ修行場を「アーシュラム」と表現していますが、「アーシュラマ」の方が正しい表記に近いです。しかしその程度ならば意味が変化するのではないのでたいした問題ではないのですが、たとえばヨーガ修行場に「アシュラム」とか「アシラム」という表記を使うと、まったく違う意味になってしまいます。

  「アー」と伸ばすのを「ア」とすると、逆の意味になってしまうことが多いのです。「アー」はその言葉を肯定するときにつけるのですが、「ア」は逆にその言葉を否定するときにつけます。たとえば「死者」「死んだ」などを意味するムリタに否定の「ア」がつくとアムリタ(=不死)となり、不死の霊薬(アムリタ)のことを言います。
  また、前回『非暴力を唱えたことで知られるマハートマ・ガンディーは、アヒンサー(非暴力・不殺生)を実践しようとしていた』と書いたのですが、ヒンサー「暴力」「殺生」に否定の「ア」がつけられるとアヒンサー(=非暴力・不殺生)となります。

  アーシュラムの「シュラム」は努力、訓練、きつい仕事、苦行などの意味があり、「アー」がつくことで、訓練や苦行を肯定する(つまり苦行を実践する)という意味になり、アーシュラム=ヨーガ修行場となるのです。ところが「アー」と伸ばさずに「ア」としてしまうと、そういう訓練や苦行を否定する言葉になってしまうのです。つまり「ヨーガ修行場」ではなく「ヨーガ修行をしない場」となってしまうことになります。だから、わたしは意識的に「アシュラム」ではなく「アーシュラム」と伸ばすようにしているのです。

  サンスクリット語が英語圏経由で入ってくると、ローマ字表記をカタカナでそのまま書いてしまうので、そこに問題が生じるのです。
  EKAとローマ字で表記されていると、カタカナでは「エカ」となりますが、サンスクリット語で正しく読むと「エーカ」となります。YOGAも同じように「ヨガ」ではなく「ヨーガ」となります。なぜならサンスクリット語ではEとOは長母音なので、必ず「エー」「オー」と伸ばすのです。「エ」「オ」という短母音はないのです。念のためサンスクリット語の辞書で「ヨーガ」ではなく「ヨガ」を引いてみると、やはり! 無いのです。少なくとも「梵英辞典」(V.S.アプテ編)にはありませんでした。
  サンスクリット語には「ヨガ」という短母音の「オ」を含む単語自体が存在しないのです。それでも、もしかしたら、ヨーガと違う意味のヨガという単語があるかもしれないと思い、わたしもこのコラムを書くために、念のためサンスクリット語辞書で引いてみて、初めてヨガという単語が存在しないということを確認しました。

  と、ここまで読んで、今流行っている「○○ヨガ」関係のみなさまは、気分を害していることでしょう。……が、これは学問的な話であり、しかもサンスクリット語を他の言語に置き換えるときに起きる問題に限られているのです。
  言葉は生き物です。とくにしゃべるときには一つの単語でも、いろいろになまったりするのが普通です。わたしがインドでであった「ヨーガ」を発音するインド人の例では「ヨーガ」というのはごくまれにありましたが、「ヨガ」「ヨォガ」「ジョガ」「ジョグ」「ヨグ」「ヨク」「ヨカ」と、博多弁もどきまで、バラエティに富んでいました。
  英語の堪能な人は、インドに行くとあまりにも英語が通じないのでショックを受けることがあるようです。
  さてここで、英語の堪能な人に問題です。インドで英語または英語から派生したヒンディー語で次のように言われたら、何のことか判りますか?「ジャンガル」「アガスト」「エアルポルト」「パルス」「ドラーイヴァル」「プリス」「パールク」「タールチ」「ダーラル」「パールキング」「ディンナル」
  正解は、次回メルマガ(10月10日予定)までお待ちください。



23. ヨーガの流派 (9/10/2005掲載)

  今年も残すところ4ヶ月になってしまいました。このコラムが配信されるころには、らくちんヨーガシリーズの第3巻「オフィスでもできるらくちんヨーガ」と第4巻「からだのお悩み解決!らくちんヨーガ」が全国書店に並ぶと思います。すでに見本本はわたしの手元にあります。しかしこのところのヨーガブームはすごいですね。この「らくちんヨーガシリーズ」は、そのブームに乗じたような出版なので、ヨーガブームが続くのはありがたいことなのですが‥‥

  「そちらはどんなヨーガをやっているのですか」
  「どんなといってもハタ・ヨーガですが・・・」
  「パワーヨガとはちがうんですか」
  「いやインドの伝統的なヨーガをやっています」
  「ホットヨガじゃないんですか」
  「普通のヨーガです」
  「アシュタンガヨガでもないのですか」
  「いやアシュタンガヨガというのはですねぇ・・・」
  と、こんなやり取りを毎日するようになっています。

  最近は、ヨーガといえばパワーヨガかホットヨガという時代になったようです。電話でハタ・ヨーガの正しい説明をするわけにもいかず、どうしても中途半端な受け答えになってしまいます。流行のパワーヨガやホットヨガについては、わたしは体験したことがないので、よく判らないのですが、テレビなどで見る限りは、どうもハタ・ヨーガのように思えます。
  前述のいくつかのヨーガを各流派といって紹介している雑誌を見たことがありますが、それは正しくありません。パワーヨガという流派やホットヨガという流派はないのです。(精神も含めて)肉体をコントロールするものは、すべて「ハタ・ヨーガ」という流派になります。
  アシュタンガヨガ(正しくはアシュターンガ・ヨーガ)というのも流派ではありません。ヨーガを実践するための8つのステップを示したものがアシュターンガ・ヨーガ(8階梯のヨーガ)です。8つのステップというのは (1)ヤマ(禁戒) (2)ニヤマ(勧戒) (3)アーサナ(ヨーガのポーズ) (4)プラーナーヤーマ(呼吸法) (5)プラティヤーハーラ(制感) (6)ダーラナー(集中) (7)ディヤーナ(瞑想) (8)サマーディ(三昧)です。
  非暴力を唱えたことで知られるマハートマ・ガンディーは、このアシュターンガ・ヨーガの1番目のヤマ(禁戒)の最初に出てくるアヒンサー(非暴力・不殺生)を実践しようとしていたのです。
  また成瀬ヨーガや○○ヨーガなどのように個人名を介したものも、流派を示しているのではないです。「成瀬雅春が教えているヨーガ」という意味なので、流派のことではないのです。ハタ・ヨーガはハタさんが教えているヨーガではありません。団体名と流派は別なので、混同しないようにしましょう。

  流派というのは、たとえば肉体をコントロールすることから解脱に到ろうとするのが「ハタ・ヨーガ」という流派です。瞑想することから解脱に到ろうとするのが「ラージャ・ヨーガ」という流派。真言(呪文)を唱えることから解脱に到ろうとするのが「マントラ・ヨーガ」という流派。信仰生活の中から解脱に到ろうとするのが「バクティ・ヨーガ」という流派なのです。その他いくつかの流派がありますが、肉体を操作することをしていれば、流派としては
「ハタ・ヨーガ」ということになります。
  ということで、今流行っているヨーガは多分すべてハタ・ヨーガのようです。・・・が、指導する人の考え方によって、ずいぶんちがった内容になるものです。毎年ヒマラヤで修行しているので、寒いのは得意なのですが、ホットヨガはわたしにはどうかなぁ‥‥。パワーヨガも体力が‥‥



22. 最近のできごとより (8/25/2005掲載)

  21日に平山夢明氏から「血まみれの人によく会いますよね」話をたっぷり聞きました。やっぱり平山さんは変な人でした。怖い話のはずなのに、これまでの対談で最も笑いの多いトークとなったのでした。平山さんは、絶対に血まみれの人を呼び込む体質です。その証拠に、私は対談の翌日に教室の前で派手に転んで右足が血まみれになってしまったのです。午後のクラスを1時間30分おこなって、それでもすねからの出血が止まらないので医者に行ったら「これは深いですね。縫いましょう」と3針縫われてしまいました。

  それはそうと、そのトークの前日に、新宿の朝日カルチャーセンターで「呼吸法講座」がありました。50人の人たちが集まり、その大半が私と初対面だったので、私としては新鮮な体験でした。また来年の1月からは朝日カルチャーセンターでレギュラークラスも受け持つことになりました。
  ヨーガ呼吸法は、ポピュラーなものでも50種類ぐらいあり、あまり知られていないものまで数えると、おそらく数百種類にもなるでしょう。3時間の呼吸法講座では、そんなにたくさんの呼吸法は教えられません。
  この日の講座で指導した呼吸法は6種類です。
  1.スカ・プールヴァカ・プラーナーヤーマ(安楽呼吸法)
  2.完全呼吸法
  3.ウッジャーイー・プラーナーヤーマ(征服呼吸法)
  4.カパーラバーティ・クリヤー(頭蓋光明浄化法)
  5.クリヤープラーナーヤーマ(浄化呼吸法)
  6.ナーディーショーダナ・プラーナーヤーマ(気道浄化呼吸法)

  その中で、たとえばカパーラバーティ・クリヤー(頭蓋光明浄化法)は、指導者の解釈でかなりテクニックが異なります。私の指導しているテクニックでは、1.5秒に1回で10回続けます。その方法は腹筋をキュッと締めて緩めるのを0.5秒ぐらいでおこない、1秒ぐらいの間を取るのを1回として10回おこないます。
  腹筋を瞬間的に締めるのはできても緩めるほうは難しいです。力を入れるのは瞬間的にできても、瞬間的に力を抜くのはなかなかできないのが普通です。カパーラバーティ・クリヤーは、呼吸をするというのではなく、腹筋をキュッと締めて緩めることで、息が出入りするのです。
  このときに1秒ぐらい間を取るのが、簡単なようでかなり難しいのです。そのせいかどうかは判りませんが、小刻みに早く呼吸するテクニックで教えているところがインドにもあります。どちらかというと間を取らないほうが簡単なのです。しかし、カパーラバーティ・クリヤーは1秒の間を取ることで内容の濃いレベルの高い呼吸法になります。その1秒というのは、息を吸うのでも吐くのでも止めるのでもなく、ただ1秒経過させるのです。つまり何にもしないということなのですが、このことを理解してもらえないことが多いのです。「何もしない」というのは、もっと正確に表現すると「目的のこと以外何もしない」ということです。私たちは常に二つ以上の何かをしています。何にもしないようにするには、肉体のコントロール能力と、かなりの瞑想能力が必要になります。
  じつは、その「何もしない」能力がヨーガの完成度の高さなのです。ひねりのポーズならば「ひねって戻してくる」こと以外何もしないといいのですが、観察能力がついてくるといろいろなことをしていることに気づくのです。
  自分自身を観察し、自分自身を知ることがヨーガです。上手にポーズができるようになるのがヨーガというわけではありません。ためしに今自分が何をしているのかを観察してみましょう。「別に何もしてないよ」という人は残念ながら観察力不足です。少なくともパソコンに向かって私のコラムを見ているのですから、何もしてないということはないですよね。しかも呼吸もしているし、マバタキもしているし‥‥でしょ。



20. アスベスト(石綿)問題より (7/25/2005掲載)

  最近のニュースでアスベスト(石綿)による健康被害問題が取り上げられています。経済産業省は、アスベスト含有製品を製造する企業89社を対象とした調査で、従業員ら374人が中皮腫やじん肺などで死亡していたとする結果をまとめて発表しました。
  これは主な製造企業だけの話なので、全国の中小企業まで拡げて調査したらどういう数字が出るか恐ろしいことです。さらに周辺住民の被害者数まで拡げると、全国のアスベスト被害による死者数や健康被害者数は想像もつきません。
  アスベストの健康被害の潜伏期間は30年から40年といわれています。つまりこれからアスベスト被害者が続々と出現してくることが考えられるのです。また、アスベスト禁止前に建てられた建物の解体工事がこれから増えてくるのです。それによって新たなアスベスト被害者が生まれることも考えられます。
  30年近く前にアスベストの危険性を承知していたのに、その時点で問題になっていないからといって放置していたという無責任さは、原子力発電所の核燃料廃棄物処理問題と共通するものがあります。地中深く埋めてしまえば千年は大丈夫などという考え方自体が大問題なのです。やっかいものを先送りしてしまえばとりあえずは良いだろうという安易な発想が大きな被害を招くのです。

  このことから、わたしたちは何を学ぶのでしょう。
  アスベストは画期的商品として全国で使用されたのです。それが、今では殺人商品となったのです。問題は、日本の経済が、新商品で支えられているということです。
  一年365日、毎日新発売の商品が洪水のごとく消費者に襲いかかってくるという状態に、私は異常さを感じているのですが、皆様はどうでしょうか? ことに「当社の従来品と比べて性能がアップしました」というような宣伝文句はその会社がまったく信用ならないことの証明のように思えるのです。つまり昨日までにその会社の商品を買った人は、性能の悪い商品を買わされていたことになってしまうのです。
  発売されて10年、20年経ってから派手に宣伝しだすという会社があれば信用できます。新商品の方に群がってしまう消費者の姿勢がいけないのですが、それに乗じる企業にも問題があると思います。
  一時代前のフォルクスワーゲンやロールスロイスのように、性能やボディデザインが変わらないことを自慢にするような商品は、昨今はほとんど見かけられなくなりました。今やワープロは骨董品のようになってしまい、使いたくても交換部品もなければ、リボンも売っていないでしょう。レコードはだいぶ前に消えてしまっています。カセットテープやビデオテープもCDやMDやDVDの出現で、そろそろ風前のともし火です。いつまでも性能やデザインが変わらないものが良い商品だという時代は、もう訪れないのでしょうか? 本当は性能やデザインが変わらない商品の方が信用できる良い商品なのです。
  新発売ということは、その商品に欠陥や問題点が隠れている可能性が大きいということなのです。われわれ消費者は、本当は新商品ではなく、旧商品を信用すべきなのです。

  私はヨーガを長年実践していますので、長く続くものほどいいと思えるし、信用できると考えています。4〜5千年もの間、すたれることなく続けられてきて現代に至っているヨーガは、最も信用のおけるものだと思います。最近またヨーガが流行っていますが、その流行はいずれすたれるでしょう。しかしヨーガそのものは今後も多くの人々によって引き継がれていくと思います。
  7月31日には桜井ひさみさんのガザルコンサートと一緒に、わたしのらくちんヨーガ話があります。ちょうどこのメールマガジンが配信になったころに、書店には「禁煙ヨーガ呼吸」(ゴマブックス)、「キレイをつくるらくちんヨーガ」「50歳からはじめるらくちんヨーガ」(中央アート出版社)の3冊が並びます。
  一人でも多くの人にヨーガの素晴らしさを実感してもらいたいと思い、日々執筆と取り組んでいるこのごろです。アス‥‥ではなく、今日ベストを尽くすほうがいいですよね。




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